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クロード・ド・ジヴレー : ミニ英和和英辞書
クロード・ド・ジヴレー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

クロード・ド・ジヴレー : ウィキペディア日本語版
クロード・ド・ジヴレー[ちょうおん]

クロード・ド・ジヴレーClaude de Givray、本名Claude Pierre Simon Givray Desmouceaux1933年4月7日 ニース - )は、フランス映画監督脚本家フランソワ・トリュフォーの脚本家として知られる。Fémisフランス国立映像音響芸術学院、旧IDHEC)教授。
== 来歴・人物 ==

*1933年4月7日、フランス・ニースに生まれる。トリュフォーの1歳下である。
*1957年、24歳のとき、トリュフォーの2作目の短編映画『あこがれ』(製作レ・フィルム・デュ・キャロッス、設立第1作、同年11月プレミア上映、翌1958年公開)の撮影に助監督として参加。
*1957年12月 - 1958年2月、クロード・シャブロル監督のデビュー作『美しきセルジュ』(製作AJYMフィルム1959年1月10日公開)の撮影に助監督として参加。
*1960年ゲンスブール&バーキン映画『スローガン』の監督ピエール・グランブラのデビュー作『''Me faire ça à moi''』の脚本を書く。ジャン=ミシェル・ソレルの小説を原作に、トリュフォーのアドヴァイスを受けて、グランブラが加筆した。ジヴレーの脚本家デビュー作。
*1960年、監督デビュー作『のらくら兵62』をトリュフォーのプロデュースのもとで撮る(製作レ・フィルム・デュ・キャロッス)。1928年ジャン・ルノワール監督『のらくら兵』をトリュフォーとともに翻案・脚本化したもの。撮影ラウール・クタール。クレジットされていないがジャン=クロード・ブリアリピエール・エテックス、翌年キャロッス社製作により『''Le Scarabée d'or''(黄金虫)』で監督デビューするロベール・ラシュネー、トリュフォーらも出演している。極めてヌーヴェルヴァーグ的作品。
*1961年、第2作『すごい野郎 ''Une grosse tête''』を脚本・監督する。主演エディ・コンスタンティーヌ、音楽ミシェル・ルグラン。『カイエ・デュ・シネマ』誌のベストテン選出で、ジャン=リュック・ゴダールが同作を1962年の第9位に推す。ゴダールは1964年の年間ベストテンの第10位にもジヴレーの『鎖につながれた愛』を推している。トリュフォーは1965年の順不同ベスト10に『鎖につながれた愛』を推した。
*1965年アンドレ・S・ラバルトジャニーヌ・バザンプロデュースによるテレビドキュメンタリーシリーズ『われらの時代のシネアストたち ''Cinéastes de notre temps''』の『サシャ・ギトリ ''Sacha Guitry''』を演出する。出演者はミシェル・シモンクリスチャン=ジャックジャン・ドマルキら。また1967年には同シリーズ『ジャック・ベッケル ''Jacques Becker''』を演出、ブリジット・オベールジョゼ・ジョヴァンニシモーヌ・シニョレ、トリュフォー、リノ・ヴァンチュラらが出演。
*1968年ジェラール・ピレス監督の『''Erotissimo''』に出演。ほかにもセルジュ・ゲンスブール、ピエール・グランブラ、フランソワ・レシャンバックら映画監督が顔を見せている。
*1988年12月21日、4年前に死去したトリュフォーが、生前にジヴレーと共同で執筆した脚本を翻案した新作映画『小さな泥棒』がパリで公開。監督クロード・ミレール、主演シャルロット・ゲンスブール美術デザイナーにトリュフォーが信頼したジャン=ピエール・コユ=スヴェルコを迎え、クロード・ベリらがプロデュース、キャロッス社もトリュフォーの義父の会社コシノールの子会社SEDIFも出資しての実現であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「クロード・ド・ジヴレー」の詳細全文を読む




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