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クローブ号(Clove)は、日本に初めて来航したイギリスの商船。東インド会社が派遣した船で、1613年6月11日に肥前国(現在の長崎県)の平戸に到着した。司令官はジョン・セーリス。これによって日英の国交が始まったとともに、クロープ号の帰還によって、日本のさまざまな文物がイギリスにもたらされた。 ==概要== 東インド会社が東アジア交易のために1611年に手配した3隻から成る貿易船団のうちの主船。船団の司令長であるジョン・セールスが同号に乗船し、日本に向かった(他2隻は別地で任務し、先に帰国)。船長にジェームズ・フォスター、商人長としてリチャード・コックスが同船、乗組員は89名〔voyage of Captain John Saris to Japan, 1613 (1900) アーネスト・サトウ著、1900年〕。 1611年4月18日、イギリス国王ジェームズ1世より将軍徳川家康に宛てた書簡と献上品を載せ、イギリスを出航。マダガスカル、イエメン、ジャワなどを経由したのち、1613年6月11日平戸に到着〔〕。 イギリスからの献上品は、1608年に発明されたばかりでヨーロッパ以外には持ちだされたことのなかった望遠鏡のほか、茶器、食器、毛織物など。総額150ポンドで、当時としては高額だった。日本側からは、家康の礼状と、イギリス人に日本国内での居住と通商を許可する旨を記した親書(朱印状)、金の葉が描かれた豪華な屏風十隻、岩井与左衛門作の二揃いの甲冑などを国王へ贈った〔。 船長のセーリスはコックスら8名を日本に残し、家康・秀忠からの贈り物と、日本滞在中に得た漆器や屏風といった多くの美術品などをクローブ号に載せ、1613年12月5日にイギリスに向け出帆。1614年9月にイングランドのプリマスに到着、同年12月にロンドンに帰港した〔。 持ち帰られた漆器などはイギリス初の美術品オークションに出品され、売却された。セーリスは春画も持ち帰っていたが、公序良俗に反するとして東インド会社の総督に没収され、破棄された。ジェームズ1世は、セーリスの「日本の王のパレスはシティ・オブ・ヨークのそれより大きい」などといった日本についての報告を信じられず、すべてが作り話なのではないかと疑っていたという。贈られた屏風は現存しないが、甲冑はロンドン塔(王立武具甲冑博物館管轄)、書状は、オックスフォード大学のボドリアン図書館に保管されている〔〔大航海時代の駿府の家康公 外国人の大御所詣で - イギリス国王使節、駿府へ ジョン・セーリスの来日 大御所四百年祭記念「家康公を学ぶ」静岡市経済局商工部観光課〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クローブ号」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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