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クンストカメラ(Кунсткамера、Kunstkamera、希少なものの陳列所)は、ロシア、サンクトペテルブルクにある博物館〔ダニロフ&コスリナ「ロシアの歴史 16世紀末から18世紀まで」(2011)p.416〕。ロシア史上、最初に創設された博物館とみられる〔。1714年にロシア帝国の皇帝ピョートル1世(ピョートル大帝)によりつくられ、鉱物や医療用の薬剤、古銭のコレクションが保存され、動物学資料館や地球儀・天体儀が置かれた〔。現在は、国立の人類学・民族学博物館となっている。なお、「クンストカメラ」という名称は、ドイツ語の''Kunstkammer''(驚異の部屋)が由来である〔1714年には、ペテルブルクでロシア最初の学術的な図書館が開かれた。〕。 == 概要 == 1714年、クンストカメラが、ピョートル大帝によって、図書館、自然科学系博物学コレクションを収蔵するため創設された。クンストカメラの建物は、サンクトペテルブルク、ワシリエフスキー島のネヴァ川(ボリシャヤ・ネヴァ川)河畔に建設された。対岸には、冬宮や旧海軍省がある。このバロック様式に属する建物は、1727年に完成を見た。 クンストカメラは、当初、「自然と人間による珍奇かつ稀覯なもの」を収集・所蔵する目的で建てられた。このような経緯から当初、クンストカメラは皇帝の個人的なコレクションの集積場であり、それらの収蔵品は、夏宮(Summer Palace)から移された。クンストカメラの所蔵品の中でもっとも有名なものは、人間や動物の胎児の標本である。ピョートル大帝は、この各種大きさ取り混ぜた標本を、オランダの解剖学者、フレデリック・ルイシュ(Frederick Ruysch)と薬理学者のアルベルトゥス・セーバ(Albertus Seba)から購入した。もっともグロテスクな所蔵品は、エカテリーナ1世の愛人であったウィレム・モンス (Willem Mons)と彼の妹アンナ・モンス(Anna Mons)の頭部をアルコール漬けにした標本である。 1716年ピョートル大帝はクンストカメラに鉱物展示室を作り、ダンチヒの医師ゴットヴァルドから購入した1,195種の鉱石コレクションを展示した。クンストカメラにはロシア産の鉱石も収集されるようになり、コレクションは充実していった。こうして増加したコレクションは、1719年から一般に公開されるようになった。この意味においてモスクワに現在あるフェルスマン鉱物博物館(Fersman Mineralogical Museum)のさきがけを成したといえよう。 1830年代になってクンストカメラ本館にあった収蔵品が増加したため、各地に帝国博物館が設立され、これに分散・所蔵された。現在、クンストカメラは正式名称を人類学・民族学博物館として所蔵品200万種類を誇る。また、1903年から「ピョートル大帝クンストカメラ」と、大帝の名称を冠している 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クンストカメラ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kunstkamera 」があります。 スポンサード リンク
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