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クンピア・トゥルジー(、ドイツ語名:イェリシュマルクト(Jerischmarkt)、ハンガリー語名:アラニョシュジェーレシュ(Aranyosgyéres))は、ルーマニアのクルジュ県に属する都市。1925年にギリシュ(ハンガリー語名:アラニョシュジェーレシュ)とスンクライ(同:セントキラーリ(Szentkirály))の2つの村が合併して生まれた。 1219年に書かれた文献には、スンクライ村が“villa Sancti Regis”(聖なる王の村 の意)の名で登場する。「聖なる王」とは、この時代に神聖視されていたイシュトヴァーン1世とラースロー1世のことで、ラースロー1世はこの地でクマン人の反乱に幾度か遭った。一方、ギリシュ村は1292年の文献が初出で、“Terra Gerusteleke”(Gerustelekeとは「Gerusの小さな土地」の意)として見える。 1601年8月9日にはミハイ勇敢公がこの地でジョルジオ・バスタの刺客により殺された。 現在ではルーマニア空軍の第71航空基地が置かれ、2008年のNATOサミットの際にはアメリカ空軍の第323航空遠征部隊が駐屯したほか、イギリスのレイクンヒース空軍基地からF-15戦闘機が遣わされた。 == 人口動態 == この街の直近の民族構成は以下の通り *ルーマニア人 - 87.14% *ハンガリー人 - 7.97% *ロマ - 4.57% *その他 - 0.32% 1850年には、ルーマニア人が49%、ハンガリー人が40%、ロマが10%を占めていた。 1784年からの人口の推移は以下の通り *1784年 - ギリシュ:565人 スンクライ:472人 *1850年 - ギリシュ:1168人 スンクライ:487人 *1910年 - ギリシュ:1815人 スンクライ:704人 *1930年 - 4124人 *1948年 - 6310人 *1956年 - 1万1518人 *1977年 - 2万2418人 *2000年 - 2万9852人 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クンピア・トゥルジー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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