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グアンダ・チャクアンバ(Gwandaguluwe "Gwanda" Chakuamba Phiri、1935年 - )は、2009年に政界引退したマラウイの著名な元政治家である。マラウイ南部のシーレ川下流域の出身。 チャクアンバは、度々所属や主張を変化させたその政治的姿勢から「カメレオン民主主義(a democracy of chameleons)」〔Englund, H. (2002) Introduction: The Culture of Chameleon Politics, Englund, H. ed. (2002) A Democracy Chameleons: Politics and Culture in the New Malawi, CLAIM/MABUKU, Blantyre.〕と呼ばれる、所属政党や信条、過去の対立よりも、如何に権力に近づき、権力を得るかを目的として、各々の議員が自在に政党や主張を替え、迎合と離反を繰り返すマラウイの民主化過程に特有な政治家の代表的な人物として知られる〔独立行政法人国際協力機構 キャパシティ・ディベロップメントから見た教育マネージメント支援 P70-71 , 2010/2/1〕〔http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Download/Report/pdf/2003_04_15_04.pdf アジア経済研究所 マラウイとガーナの民主化過程 , 2010/2/1〕。 == 経歴 == === 独立からバンダ大統領引退まで === 1964年、マラウイはイギリスの植民地から独立を遂げた。チャクアンバはその1964年の選挙から1980年まで、マラウイで唯一の合法政党であったマラウイ会議党の主要人物の1人であった。ヘイスティングズ・カムズ・バンダ大統領による統治が行われていた当時、チャクアンバは様々な閣僚を歴任し、また党若年層による民兵組織、''Young Pioneers''の司令官も勤めていた。しかし、1980年2月に扇動容疑で起訴され、懲役22年の刑を受けた。 1993年7月にチャクアンバは刑務所から出所すると、それから1ヵ月後に行われた1993年マラウイ国民投票で多党制導入に賛成した。出所後はいったん野党の統一民主戦線 (UDF) に所属したものの、すぐにマラウイ会議党へと復帰し、党の事務総長へと就任した。1994年2月には、マラウイ会議党の次期大統領候補として出馬したバンダは、副大統領候補としてチャクアンバを指名した。 1994年5月17日に開催されたマラウイ最初の複数政党選挙の結果、バキリ・ムルジが現職のバンダを破って大統領へと就任。また、統一民主戦線も第一党となった。その結果、バンダは1994年8月に政界を引退し、チャクアンバがマラウイ会議党の指導者となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グアンダ・チャクアンバ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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