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グラフィカルユーザーインターフェース : ミニ英和和英辞書
グラフィカルユーザーインターフェース[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラフ : [らふ]
  1. (adj,n) rough 2. (adj,n) rough
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

グラフィカルユーザーインターフェース ( リダイレクト:グラフィカルユーザインタフェース ) : ウィキペディア日本語版
グラフィカルユーザインタフェース[ちょうおん]

グラフィカルユーザインタフェース(Graphical User InterfaceGUI)(グーウィー)は、コンピュータグラフィックスポインティングデバイスを用いて、直感的な操作を提供するユーザインタフェースキャラクタユーザインタフェース (CUI) やテキストユーザインタフェース (TUI) と対比して語られることが多い。
グラフィカルユーザインタフェースは、視認性、操作性に優れ、直感的な操作が可能なため、広く普及し、2013年現在では主流のインタフェースになっている。
== 歴史 ==

世界初の実用となったGUIは1963年に完成したSAGEというアメリカ空軍の開発した防空管制システムである。これはCRTライトガンを備えており、核爆弾を搭載した敵航空機を迎撃するために多数のレーダーからの情報を統合し、複数のオペレーターがライトガンで迎撃目標を指示するだけで全軍の適切な箇所に自動で指令が届き、その結果レーダー情報の膨大さを気にすることなく的確に敵機を迎撃できるというものであった。リアルタイムに膨大な情報から適切な選択を行うという点において、このシステムはGUIの本質を示すものである。コンピュータより前からある技術として、レーダーの表示などといったものを考えれば、テレタイプライタなどの(同様に、コンピュータ以前からある)CUIと、GUIは同時に発展してきたものと言える。勿論軍事的にも、CUIによるシステムも同時に使われていた。〔グラフィカルインタラクティブシステム前史
また、オシロスコープはテレビやディスプレイと同じ原理を使った装置だが、コンピュータの内部の信号を直接観察できる装置としても都合が良いため、初期のコンピュータではしばしばそのような目的でブラウン管が情報出力のために備えられていた。これはGUIとして扱うには機能的には足りないものだが、最初期のコンピュータの1基であるEDSACにも付いており、OXOというゲームに使われている。実用の目的で情報表示にブラウン管が使われた例としてはMARS-1(1960年、日本国鉄)がある。
1960年代の米国において、サザランドSketchpadや、マウスの発明者でもあるダグラス・エンゲルバートによるNLSなどといった、(軍用などの専用目的ではなく、汎用を意図した)初期のGUIシステムが開発された。NLSはエンゲルバートの提唱する「人間知性の拡大」という概念を実現するために作られており、ハイパーテキストハイパーリンクマルチウインドウなどの今日的なGUIには必須の概念を実装して見せたきわめて革新的なものである。またジャーナルと呼ばれるハイパーテキストベースの文書共有システムは正にWikiと同じ概念である文書によるコラボレーション・グループウェアを実装したものである。NLSの本質は単なるGUIの実装ではなく、GUIは会話・画像・文書をリアルタイムで共有する電子会議を通じた知的共有グループウェアを実現するための手段であった。さらに、後にWYSIWYGと呼ばれることになる機能もこのとき既に実装されていた。〔エンゲルバートによる1968年のプレゼンテーションの一部。レポートや論文をどのようにして共同作成・編集・完成・閲覧・出力させるかのデモ。
1970年代には、アラン・ケイにより、誰でも簡単に使えることを目指して暫定Dynabook環境が作られた。当初は標準システム的な位置づけで開発されたSmalltalk-72は、Data General社のNovaから、約5〜10倍の能力とビットマップディスプレイマウスを装備したAltoへと移植され、マシンパワーを得るとすぐにオーバーラップ可能なウインドウシステムの構築が試みられた。このマルチウインドウシステムを効率よく機能させるために後に考え出された BitBltは、現在も、ちらつきのない画面描写のために使われるアルゴリズムとして知られる。
1974年までには、後にMicrosoft Wordの前身と言われるようになるBravoを開発していた別グループとの情報交換を経てパロアルト研究所初のWYSIWYGエディタも実装される。70年代半ば過ぎにはマウスによる操作、メニューによる命令実行、オーバーラップマルチウインドウシステム、絵と文章の共存できるWYSIWYGのマルチフォントエディタ、アイコンによる機能やオブジェクトの簡易表現など、現在ごくふつうに見られるグラフィカルユーザインタフェースの主要な要素は固まっていた。Smalltalk-72の後継であるSmalltalk-76ではさらに洗練・整備され、それを1979年に見たスティーブ・ジョブズが策定中のLisaの仕様決定に役立てた。〔THE EARLY HISTORY OF SMALLTALK, Alan C.Kay

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Graphical user interface 」があります。




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