翻訳と辞書
Words near each other
・ グランディスオオクワガタ
・ グランディスクワガーモン
・ グランディハウス
・ グランディング
・ グランディング株式会社
・ グランディ・21
・ グランディ・21総合体育館
・ グランディ・スタツィオーニ
・ グランディーズ
・ グランディーネ
グランディ決議
・ グランディ級数
・ グランディ郡
・ グランディ郡 (アイオワ州)
・ グランディ郡 (イリノイ州)
・ グランディ郡 (テネシー州)
・ グランディ郡 (ミズーリ州)
・ グランデコスノーリゾート
・ グランデコール
・ グランデッツァ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

グランディ決議 : ミニ英和和英辞書
グランディ決議[ぐらんでぃけつぎ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [けつ]
 【名詞】 1. decision 2. vote 
決議 : [けつぎ]
  1. (n,vs) resolution 2. vote 3. decision 

グランディ決議 : ウィキペディア日本語版
グランディ決議[ぐらんでぃけつぎ]

グランディ決議(グランディけつぎ、:)とは、1943年7月25日、当時のイタリアの最高諮問機関であるファシズム大評議会において採択された、当時のイタリア王国の首相であるベニート・ムッソリーニに対する首相退任要求決議である。
名称は、決議案を草案し、提出したファシズム大評議会の構成員であったディーノ・グランディに由来する。
当時のイタリア王国における首相を任免する権限はイタリア国王にあり、この決議は法的に非拘束性のものであったが、当時のイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、この決議を支持し、ムッソリーニを首相から解任、逮捕した。
== 背景 ==
当時のイタリア王国の首相であるベニート・ムッソリーニの命令により、1940年9月7日、北アフリカにおいてエジプトの占領を目指して当時イタリアの植民地であったリビアから進撃を開始、同年10月28日には、それまでに保護国としたアルバニアからギリシャへの進撃を開始したイタリアであったが、いずれも緒戦から苦戦を続け、同盟国であるナチス・ドイツからの援軍によって戦線を維持している状況であった。
その後、ギリシャでは抵抗運動等で行き詰まり、1943年5月には北アフリカにおいてもカセリーヌ峠の戦いでの局地的な勝利以降は追い詰められていき、北アフリカでの最後の根城としたチュニジアも、トーチ作戦モロッコアルジェリアから上陸、進撃してきたアメリカ軍エル・アラメインの戦い以降、エジプトからリビアを通って進撃してきたイギリス軍によって東西から挟み撃ちにされる事態に至ったため、共同で戦ってきたドイツ軍とともに北アフリカから撤退、撤退に間に合わなかった枢軸軍連合軍に降伏した。そのような中、敗北続きによる国内における厭戦気分の蔓延によって士気の低下を感じ取っていた当時のイタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、ムッソリーニを首相の座から引きずり下ろすことを考えるようになる。
そして、北アフリカを完全に制圧した連合軍が、1943年7月10日シチリア島攻略を目的とするハスキー作戦を決行したことによって、連合軍によるイタリア本土上陸の懸念が現実的なものとなり、王国の存続を危惧し、戦争の遂行に絶望的なものを感じ取ったエマヌエーレ国王は、ムッソリーニを首相の座から引きずり下ろすことを決意した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「グランディ決議」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.