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グランドエキノクス(''Grand Ekinoks''、1998年 - )は、トルコの競走馬。2001年にトルコ競馬史上7頭目のトルコクラシック三冠馬となり、その後トルコ調教馬の獲得賞金記録も塗り替えた。獲得賞金はトルコ国内分のみで242万3916.52新トルコリラ(引退当時の通貨単位)にのぼり、これは当時のレートで日本円に直して約2億円に相当する。また、優勝には至らなかったが海外遠征も行った。 == 戦績 == *2000年(2歳) - 5戦1勝 *デビュー4戦目の未勝利戦を制し、国内G2のサカリヤ賞(芝1800m)に臨んだが3着に終わった。 *2001年(3歳) - 10戦7勝、三冠達成 *5連勝で2000ギニーに当たるエルケック・タイ・デネメ(国内G1、芝1600m)と続くガジ賞(ガジ・ダービー)(国内G1、芝2400m)に優勝し二冠を達成。秋にはアンカラ賞(国内G1、トルコのセントレジャーに相当、芝2800m)を制し5年ぶり史上7頭目の三冠馬となる。さらに古馬混合のトルコジョッキークラブ賞(国内G1、芝2400m)に優勝したほか、トルコ共和国大統領賞(国内G1)はじめ重賞2着を3回、年内の連対率は100%だった。 *2002年(4歳) - 8戦4勝、国内G1の勝ち星を増やし、国際競走を制覇 *シーズン緒戦は連敗を重ねたが、3戦目から復調し、トルコ首相賞(国内GI、芝1600m)に優勝した。続いて国際競走のボスポラスカップ(国内G2だが、国際セリ名簿作成国基準委員会で当時Part3だったトルコにおいて2つしかないPart2対象競走の1つで、賞金は欧州のG1並に設定、芝2400m)でドイツ、フランスの遠征馬を退けて制した。10月にはトルコジョッキークラブ賞を連覇。 *2003年(5歳) - 9戦2勝、初のドバイ遠征は未勝利に終わるが。地元で国際G1馬を破る *この年からドバイワールドカップカーニバルが始まったことから、招待馬としてドバイ遠征を敢行し、前哨戦であるドバイシティーオブゴールド (G3) で2着と好走。本番のドバイシーマクラシックでもスラマニの5着に入った。トルコに戻ってからは1つ下の世代の有力馬ディニイェペルに連敗し国内G1制覇はならなかったが、ボスポラスカップではドイツ馬エパロ(シンガポール航空インターナショナルカップ優勝)やディニイェペルらをまとめて破り連覇、復活を見せた。 *2004年(6歳) - 6戦2勝、大競走は未勝利に終わる *シーズン初頭は2度目のドバイ遠征を行い、ドバイシーマクラシック7着。国内G3を2勝したが、トルコ首相賞は2着に終わり、3連覇のかかったボスポラスカップも8着と大敗して目立たない成績に終わった。秋に凱旋門賞遠征を掲げたが、除外により回避している。 *2005年(7歳) - 7戦2勝、3年ぶりにG1制覇 *夏に行われたG2で1着、2着と連続好走した後、10月のトルコジョッキークラブ賞でおよそ3年ぶりとなるG1制覇で復活を遂げた。 *2006年(8歳) - 5戦0勝、引退 *3度目のドバイ遠征を行うが、ハンデキャップ競走を3戦してすべて3着に終わり、重賞には出走しなかった。帰国後、G3に4着、G2に9着と低迷し、この年を最後に引退した。 競走馬引退後は種牡馬となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グランドエキノクス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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