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株式会社プリンスホテル(''Prince Hotels, Inc.'')は、西武グループに属し、グループ内でのホテル・レジャー事業会社であり、西武ホールディングスの子会社。また、同社が運営するホテルブランドである。 == 概要 == 西武グループによるホテル・リゾート事業は、国土計画(後のコクド、2006年2月解散)が主導して計画・立案した箱根・軽井沢などへの観光地への進出を図ったのが源流である。社名は、敗戦に伴い行われた皇籍離脱後、占領軍によって没収された旧皇族の土地が日本国との平和条約締結によって日本政府に返還された後、安価で購入し、その土地にホテルを開業した事に由来している(後述の千ヶ滝プリンスで命名されたのが起源)。 コクド・西武鉄道の創業者である堤康次郎が1964年に逝去し、三男・堤義明がコクド・西武鉄道の後継者の座に就くと、1971年に西武鉄道のホテル部門を独立させるかたちで「(初代)株式会社プリンスホテル」を設立し、康次郎の五男で西武百貨店寄りの要職に就いていた堤猶二が社長に就任する(後にセゾン下のIHGの社長・東京テアトル社長を歴任)。同氏によって『プリンスホテルスクール』が設立され、各種学校としてホテリエの育成を手がけ始めるが、1976年に笹川良一率いる日本財団が支援した財団法人日本ホテル教育センターに経営が譲渡され、「専門学校 日本ホテルスクール」として継承されている。ホテル会社によって設立されたホテル養成学校はプリンスホテルスクールが国内では唯一であり、設立に際しては一定の評価がなされている。 1980年代からは義明元会長と政界との繋がりが強まり、大規模なスキーリゾートやシティホテルを首都圏・東北・北海道を中心に数多く進出させる。また、時期を前後してアメリカ合衆国(ハワイ・アラスカ・グアム)・カナダ・東南アジア諸国・台湾・オーストラリアなどの海外リゾート企業を買収・提携のうえで進出を行い、バブル景気の中でプリンスホテルの母体であったコクドは一大ホテル・レジャー事業を運営する企業へ成長した。 コクドの下で行われてきた事業拡大に合わせて資金調達に用いた手法は、銀行などから巨額の融資を得て土地を取得後、ホテルやレジャー施設を建設して土地の付加価値を高め、値上がりした地価上昇分などでさらに融資を受けて新たな土地開発を進めることだった。マスメディアなどからは「借金経営」「土地本位制経営〔「コーポレートガバナンス」を考える NIKKEI NET〕」と呼ばれ日本の高度経済成長期から続いていた地価の上昇などがこの経営手法を可能にさせた。当時の経営基本は「土地は値上がりを待つ」「利益を押さえ節税する」だった。そごう・ダイエーも酷似した手法で店舗網を拡大させたが、後に経営破綻をしている。 日本経済がバブル景気にへ突入した1980年代末期から地価上昇はさらに加速し、さらに積極的にホテル・リゾート事業の拡大を推し進めることになった。1990年代のバブル崩壊後は地価の価格上昇による事業計画は軌道修正されたが、平成不況期のプリンスホテル事業は基本的にリストラ・事業再編は実施されず、2005年の「東京プリンスホテルパークタワー」の開業まで続けられていた。 2004年に西武鉄道を舞台にした総会屋利益供与事件・有価証券報告書虚偽報告事件により、堤義明が失脚。2006年前半(2005年度末)に西武グループが西武ホールディングスの元で再編される際に、不採算施設については営業終了もしくは別資本へ不動産と運営権を順次売却することとなり、それ以外の(旧)コクド・(初代)プリンスホテル・西武鉄道(西武線沿線施設は除く)が所有するホテル・リゾート事業の不動産については「(二代目・新)株式会社プリンスホテル」のもとに集約・統合された。また、それまでプリンスホテルが発行していた、西武グループのレジャー施設を全て網羅した冊子「レジャーガイド」も2006年版をもって発売終了となった。 2006年の西武グループ再編以前までの「(初代)株式会社プリンスホテル」は、堤義明の計画立案により西武鉄道・伊豆箱根鉄道・近江鉄道・西武不動産といったコクドの傘下企業(主に首都圏・近畿)が開発した、あるいは地場企業とコクドの合弁や地方自治体の誘致による第三セクター方式で設立した運営会社(海外、苗場・軽井沢以外のスキーリゾートなど)が開発した「プリンスホテル」のフランチャイズや客室販売など対外的なマーケティング事業が主体であり、経営自体は各社が行っているため統一的な戦略はなかった。(初代)プリンスホテルの自社物件は「サンシャインシティ プリンスホテル」のみである。 2006年7月、高輪地区と品川地区の競合解消のため、2名いた総支配人を1名にし、高輪地区を上位とする地区統合を行なった。2007年12月中に、本社を所沢市の西武鉄道本社ビルから豊島区のサンシャインシティプリンスホテルへ移転した。 2007年4月1日にホテルブランドの「プリンスホテル」はグレードに応じた3つのカテゴリーに細分化され、シンボルマークを一新した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「プリンスホテル」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Prince Hotels 」があります。 スポンサード リンク
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