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『グランド・ブダペスト・ホテル』(原題: ''The Grand Budapest Hotel'')とは、ドイツ・イギリス合作のドラメディ(コメディ・ドラマ)映画である。とある高級ホテルのカリスマ的コンシェルジュである初老の男と若いベルボーイの交友を描いた作品である。監督・脚本はウェス・アンダーソン、主演はレイフ・ファインズが務めた。第64回ベルリン国際映画祭審査員グランプリや、第87回アカデミー賞の4部門などを受賞している。 ヨーロッパ大陸の東端にあるという仮想の国ズブロフカ共和国が物語の舞台であり、歴史的なトピックスがパロディとして登場する。また、時間軸は1932年と1968年、1985年の3つであり(これに冒頭及び最後の「現在」を加えると4つ)、1.33:1、1.85:1、2.35:1の3種類のアスペクト比を使い分けることで入れ子構造を表現している。 本作品は、アンダーソンが脚本を書くに当たって影響を受けた「シュテファン・ツヴァイクの著作」に献辞が捧げられている。町山智浩によれば、その著作とは主にツヴァイクの自伝である「昨日の世界」であり、グランド・ブダペスト・ホテルのイメージは「変身の魅惑」で主人公が宿泊した高級ホテルであろうという。また、アンダーソンがツヴァイクを知ったきっかけになったのは、偶然手に取った「心の焦燥」であったという。 == あらすじ == 一人の女性が、旧ルッツ墓地を訪れ、ズブロフカの偉大な作家の銅像の前で「グランド・ブダペスト・ホテル」を読み始める。 1985年、書斎で作家は語る。「作家とは無から有を生み出すのではなく、作家と知られると自然と物語が集まる」と。彼にとって印象深いのは、1968年、ズブロフカはアルプス麓の町、ネベルスバートにあるグランド・ブダペスト・ホテルで、とある老紳士から聞いた物語だった。 1968年8月、当時いわゆる「作家熱」を患い、静養のため、かつては美しかったのであろうが、今は古びてくすんだグランド・ブダペスト・ホテルを訪れた作家は、ホテルのオーナーで、移民からこの国一番の富豪になったゼロ・ムスタファと知己になる。しかし彼は、ホテル最上階の「グスタヴ・スイート」と名づけられた使用人用のシングルに泊まり、一人客ばかりの滞在客の中で、誰よりも深い孤独感を纏わせていた。彼の謎めいた素性に興味を持った作者は、ディナーで彼の昔語りを聞くのであった。 1932年、グランド・ブダペスト・ホテルは、所有者が謎とされていたが、名高いコンシェルジュ:グスタヴ・Hの下、富裕層が多く集まる、誰もが憧れる華やかなホテルとして営業していた。戦乱で故国を追われて各地のホテルで下働きをしてきたゼロがホテルのベルボーイになったのはこの時期であり、グスタヴから薫陶を受ける。そして菓子店メンドルの店員であるアガサと知り合い、結婚した。彼女は勇気と大胆さを併せ持ち、また左頬にはメキシコ型の大きな痣があった。 グスタヴは行き届いたサービスに加え、「裕福だが年老いており、不安げで虚栄心が強く軽薄で(性的に)飢えている金髪の」女性客を満足させることで、顧客から熱烈に支持されていた。その一人であるマダムDは、グスタヴと二度と会えない気がすると不安を口にする。不安通り、一ヶ月後の1932年10月19日の新聞にマダムの死亡記事が掲載されてしまう。グスタヴはゼロと共に、急いで列車でマダムの居宅のあるルッツへ向かう。その途上、軍の検問があり、移民としての旅券しか持たないゼロは拘束されそうになるが、担当した軍人がグスタヴの知己で、臨時通行証を発行して貰い事無きを得る。 マダムの邸宅ルッツ城で、グスタヴはその死を悲しむ。邸宅には、マダムの遺産を目当てに大勢の親族が集まっていた。遺言執行人の弁護士コヴァックスは、基本的な遺言に加え、追加や補足が600通以上に及ぶため、基本的に長男のドミトリーや、その姉妹が相続することになるものの、その他形見分けなどもあり、遺言の執行には時間がかかると説明した。また、その中でも最新の遺言として、ホイトル作の名画「少年と林檎」をグスタヴに遺贈することが紹介された。ドミトリーはグスタヴが母と肉体関係があったことを罵倒して殴る。ゼロはドミトリーを殴るが、ゼロもドミトリーの傍らにいた不気味な男、私立探偵を名乗るジョプリングに殴られる。グスタヴは「マダムの所有する美術品の中で唯一価値がある〔マダムの邸宅にはグスタフ・クリムト風、エゴン・シーレ風の現代絵画があるが粗雑に扱われている様子が描写される〕もの」と狂喜し、「少年と林檎」をエゴン・シーレ風の絵画とすり替え、マダムの執事セルジュの協力を得て持ち出す。グスタヴは、「少年と林檎」を処分することとし、ゼロに完全な協力への見返りとして、わずかな手数料と死後自分の財産をすべて遺贈するという契約書を作成する。もっとも彼の財産と言っても詩集の他大したものはないのであったが。 しかし、ホテルに戻ったグスタヴは、マダム「殺害」の容疑で逮捕され、第19犯罪者拘留所に収容される。全てはドミトリーの陰謀で、彼はジョプリングを使って、次々と関係者を殺害していく。虚偽の重要証言をしたセルジュは失踪した。監視塔の中でも優雅にふるまうグスタヴは、収容所のルートヴィヒらと共に脱獄を計画し、アガサの協力を得て工具を手に入れて脱走する。そして、ホテル・コンシェルジュのネットワーク「鍵の秘密結社」の協力を得てゼロと共に逃亡し、山上の修道院でセルジュと再会する。セルジュは、マダムが殺害された場合のみ有効となる、第2の遺言の存在を告白するが、細部を説明する前にジョプリングに殺害されてしまう。 グスタヴとゼロは、冬季五輪のコース〔史実では1936年にドイツでガルミッシュ=パルテンキルヒェン・オリンピックが開催されている〕を使ってジョプリングを追跡するが、断崖に追い詰められる。ゼロは隙をついてジョプリングを崖下に突き落とすが、今度は警察に包囲されてしまう。からくも包囲を脱出した二人は、アガサと合流し、絵画を手にマルタ島へ逃亡することに計画を変更した。アガサは難なく、今は軍隊の兵舎として接収されたホテルへ忍び込み絵画を手にする。ドミトリーと鉢合わせ、さらに彼女を心配したグスタブとゼロ、勘違いした軍人たちを交えた銃撃戦となる。窓から脱出しようとしたアガサは、転落しかけ、ゼロは助けに行く。結局、二人とも一命をとりとめ、さらにその時破れた絵画の包装から、ドミトリーたちが廃棄した第2の遺言書の写しが発見された。預けられていたセルジュが、「少年と林檎」の包装を頼まれた際に、隠していたのだった。 軍人たちの立ち合いの下開かれた第2の遺言では、不動産(彼女が所有していたグランドブダペストホテルそのものを含む)、証券、美術品など全てのマダムの財産がグスタヴに遺贈されることとなった。かくして遺産を巡る騒動はあっけなく解決し、ホテルは再び優雅さを取り戻し、そしてドミトリーは失踪した。グスタヴ立ち合いの下、ゼロとアガサは結婚式を挙げ、物語は大団円を迎えた。 しかし、平穏な日々も長くは続かなかった。戦争の結果、ファシスト達の電撃戦の前に独立国家としてのズボロフカは消滅した。占領開始から21日目の11月17日、グスタヴと共にルッツへ向かう列車の中、再びゼロは軍の検問で拘束されそうになるが、今度は臨時通行証も通用せず、庇おうとしたグスタヴは拘束され、銃殺刑となった。さらに、アガサと、ゼロとアガサの息子は、「プロイセン風邪」であっけなく死去した。グスタヴの遺産を継承したゼロは、国一番の大富豪となったものの、1968年時点でズブロフカは共産化の中にあり、ゼロの資産は、この古びたホテルを残し国有化されていた。 かくして、ゼロの物語は終わり、作家はその後長くヨーロッパに立ち寄ることなく、ゼロの話を小説として出版した後死去し、ルッツ墓地の女性も本を読了したのだった。作家の書いた魅力的なコンシェルジェと、「鍵の秘密結社」の話を讃えるかのように、作家の銅像の台座には、無数の鍵がぶら下げられているのであった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グランド・ブダペスト・ホテル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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