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オットー・ワンツ(Otto Wanz、1943年6月13日 - )は、オーストリア・グラーツ出身の元プロレスラー、プロモーター。 ヨーロッパを代表するプロレス団体CWA(Catch Wrestling Association)の総帥として知られた。AWA世界ヘビー級王座奪取(第28代王者)やIWGPリーグ戦への連続出場など、アメリカや日本でも実績を残している。 == 来歴 == アマチュア・ボクシングで活動後、ドイツ(当時西ドイツ)のプロモーターだったグスタル・カイザーにスカウトされて1969年にプロレスラーに転身〔『THE WRESTLER BEST 1000』P119(1996年、日本スポーツ出版社)〕。丸々とした体型のコミカルかつパワフルなベビーフェイスとして、地元のオーストリアやドイツを主戦場に、主に子供ファンからの人気を集めた〔。1973年1月にはグラン・ラパン(''Grand Lapin'')のリングネームで国際プロレスに初来日している。 1973年8月2日、南アフリカのケープタウンにてジャン・ウィルキンスを破り、初代のCWA世界ヘビー級王者となる。以降、ドイツを本拠地とするCWAのエース兼プロモーターとして活躍、1976年にはアントン・ヘーシンクと防衛戦を行い、1978年11月24日にはローラン・ボックが主催した欧州世界選手権シリーズにおいてアントニオ猪木の挑戦も受けた(新日本プロレスには、1976年1月にブルドッグ・オットー名義で初参戦している)〔。この間、1977年9月1日にヨハネスブルグでドン・レオ・ジョナサンに敗れベルトを失うが、翌1978年7月15日に地元のグラーツにて奪還に成功した〔。 1982年よりアメリカのAWAと提携し、ボビー・ダンカンやバロン・フォン・ラシクを招聘してCWA王座の挑戦者に迎える一方、自身もアメリカに遠征。同年8月29日、ミネソタ州セントポールでニック・ボックウィンクルからAWA世界ヘビー級王座を奪取し、世界的な名声を獲得した。 1983年5月には新日本のIWGP決勝リーグ戦に「欧州代表」として参戦。同年11月の第4回MSGタッグ・リーグ戦や翌1984年5月のIWGP王座決定リーグ戦にも出場した。戦績は芳しくなかったものの、新日本との提携強化やアメリカ人レスラーとの人脈形成において、CWA代表としての外交手腕を発揮。アンドレ・ザ・ジャイアント、サージェント・スローター、ディック・マードック、ビッグ・ジョン・スタッド、ブラックジャック・マリガン、キングコング・バンディらのブッキングを実現させている〔1988年7月9日のグラーツでのビッグショーにはブルーザー・ブロディの出場が予定され、ワンツとのCWA世界王座戦が組まれていたが、開催3日前に急遽キャンセルされている(『Gスピリッツ Vol.13』P105 / 2009年、辰巳出版 / ISBN 4777807150)。約1週間後、ブロディはプエルトリコで急逝。〕。 CWA王者としても彼らを相手に防衛を重ね〔、1987年からはブル・パワーとの抗争をスタート。欧州とアメリカを股にかけて、CWA世界王座の争奪戦を繰り広げた〔。1990年6月30日、ホームタウンのグラーツでブル・パワーから王座を奪回すると、その場でタイトルを返上して引退を表明〔。同年12月22日のブレーメン・トーナメント最終日におけるテリー・ファンク戦を最後に現役を引退した〔。 以降、1990年代はフランス系カナダ人(ケベック人)のランボーにエースの座を譲り、自身はCWAのプロモート業に専念。当時の欧州マットはWWFの世界戦略の影響で壊滅状態にあったが、CWAはワンツが過去の渉外活動で構築してきたネットワークを活かし、ロード・ウォリアー・ホーク、ルドヴィッグ・ボルガ、パパ・シャンゴ、アルティメット・ウォリアーなどフリーランスの大物選手を招聘して独自の活動を続けた。新日本プロレスとの友好関係も維持し、蝶野正洋、船木優治、山本広吉、小島聡ら当時の歴代の若手選手が海外武者修行としてCWAに遠征。石澤常光は、ワンツのアイデアによりCWAマットで「ケンドー・カシン」に変身した。1990年代半ばからは新日本を媒介にWCWとも提携。アレックス・ライトらがCWA経由でWCWに登場した。 2000年にCWAが活動を停止してからはプロレス界から勇退。近年は俳優として映画やテレビなどのショービジネス界で活動している。本国オーストリアでは根強い人気を誇り、CMなど広告媒体への出演も数多い〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オットー・ワンツ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Otto Wanz 」があります。 スポンサード リンク
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