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グリム童話の一覧では、グリム兄弟による『子供と家庭のための童話集』(''Kinder- und Hausmärchen'')、通称『グリム童話』に収録されているメルヒェンの一覧を記載する。 == 凡例 == 以下では『子供と家庭のための童話集』第7版の収録作品を基本とし、各項にそれぞれ第7版における通し番号(KHM番号)を挙げた。また初版から収録されているものは初版時の通し番号も記載した。ただし、以降の版と違い、初版では第1巻(86番まで)と第2巻はそれぞれ分けて通し番号が付与されているが、ここでは便宜上通巻に直した上で記載している。例えば初版第2巻の5番はここでは91番として掲示している。 初版から第6版までの間に削除されたものは別に分け、掲載時の通し番号にaをつけて区別している。版間の差し替えや移動などは備考欄に記した(その他の備考欄の注釈は主として『初版 グリム童話集』の注釈によっている)。タイトルが太字になっているものは「小さい版」(普及版)に収録されたものを示す。なおKHM210までに入らない遺稿や断片は割愛した。 メルヒェンの取材源となった人物のうち、特に主要なものの概要は以下の通りである(グリム童話#取材源も参照)。 ;ヴィルト家 :カッセルの薬剤師ルードルフ・ヴィルト(1747-1814) の一家。ルードルフはスイスのベルン出身で、カッセルに移り住んだのちドロテーア・カタリーナ・フーバー(1752-1823)と結婚した(なお、ドイツでは薬剤師は医師と並んで社会的地位の高い職業である〔小澤 (1992) , 120頁。〕)。グレートヒェン(1787-1819)、リゼッテ(1782-1858)、ドロテーア (ドルトヒェン、1793-1867)、マリー(ミー、1794-1812)の4人の娘がいる。1805年よりカッセルに移り住んだグリム兄弟の隣人であり、娘たちはグリム兄弟の妹ロッテの友人でもあった。グリムはドロテーア夫人と娘たちから30あまりのメルヒェンの提供をうけており、この一家からの話にはすべて「ヘッセン」との注釈がつけられている〔小澤 (1992) , 121頁。〕。その後ヴィルヘルム・グリムは主な提供者の一人であったドルトヒェンと結婚した。 ;ハッセンプフルーク家 :ヘッセンの高官の一家で、あまり詳しいことはわかっていないが、夫人のマリーア・マグダレーナ・ハッセンプフルーク(1767-1840)はフランスから逃れてきたユグノーの出であり、一家ではフランス語が話されていた。娘にマリー(1788-1856)、ジャネット(1791-1860)、アマーリエ(1800-1871)がいるが、この「マリー」はヴィルヘルム・グリムの息子ヘルマンの誤解によって、ヴィルト家に住んでいた老嬢マリーと長い間取り違えられていた〔小澤 (1992) , 104-108頁。〕。娘たちはやはりグリム兄弟の妹ロッテの友人で、グリムは彼女たちから30あまりのメルヒェンの提供を受けているが、フランス由来と思われるものが多いため後の版で削除されたものもある〔『初版 グリム童話集 4』 173頁。〕。 ;フリーデリケ・マンネル(1783-1833) :ランツブルク近郊アレンドルフの牧師の娘で、初版に5篇のメルヒェンを提供。『少年の魔法の角笛』にも提供を行っている。フランス語を自由に操り非常に文学的教養が高かった〔レレケ (1990) , 122-123頁。〕。 ;ドロテーア・フィーマン(フィーメンニン、1755-1815) :15篇のメルヒェンを提供。カッセル地方の仕立て屋の妻であったが、野菜売りをしていたため、グリムは当初農家の夫人と誤解していた。グリム兄弟が生前に情報源として名を挙げた唯一の人物で、ドイツ生粋のメルヒェンの語り手として理想化されてきたが、のちの研究で彼女は旧姓をピアソンという、フランスから逃れてきたユグノーの家の出で、フランス語を操り文学的教養も高かったことが明らかになった〔小澤 (1992) , 101-103頁。〕〔レレケ (1990) , 142-146頁。〕。 ;ハクストハウゼン家 :ヘッセンの隣国ヴェストファーレンの貴族の一家で、マリアンネ(1755-1829)、アウグスト(1792-1866)、ルドヴィーネ(1795-1872)、アンナ(1800-1877)などが、住んでいたパーダーボルン地方の話を20ほど提供している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グリム童話の一覧」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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