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グリュック王国(グリュックおうこく)は、かつて北海道帯広市に存在したテーマパークでぜんりんレジャーランドにより運営されていた〔“グリュック王国に造波プール”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). (1998年1月10日)〕。 「ぜんりんレジャーランド」は地元不動産デベロッパーのぜんりん地所建設の子会社であった。 == 概要 == 国鉄広尾線の廃止に象徴されるように従来の道内産業基盤が弱体化する中、1980年代の好況を背景に、観光による町おこしを目指して帯広空港近くに誘致された。 1989年(平成元年)7月1日に開園した〔“童話の世界へようこそ 帯広 グリュック王国 開幕”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年7月1日)〕。 園内は中世のドイツをモチーフとしたテーマパークとなっており〔““街道の貴婦人”再現。古城ホテル建設進む。内装、壁画も忠実に-帯広・グリュック王国”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年11月22日)〕、ベーザールネサンス様式を代表する「ウトレヒトの出窓」などドイツに古くから伝わる木組みの家には独特の装飾や古いドイツの街によく見られる「マルクト広場」を含めた街並みが再現されていた〔“メルヘンの世界再現 -帯広旧幸福駅近く- 「グリュック王国」入国記 城門くぐると西独の街 メルヘン遊具”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年7月5日)〕。 そのため、ハーナウ市から取り寄せたグリム兄弟の銅像〔““本家”とそっくり 帯広グリュック王国 グリム兄弟の銅像到着”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年6月27日)〕がハーナウ市庁舎前に置かれ〔、東ベルリンのフリードリヒ通りに敷かれていたものを取り寄せた舗道石が用いられ〔“グリュック王国 帯広 西ドイツから輸入された400年前の舗道石”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年1月11日)〕遊具もドイツ製でメルヘン調のもののみで構成されていた〔。 1990年(平成2年)にはドイツでも人気のあった大型遊具の「ウエーブスインガー」を導入している〔“遠心力のスリル「ウエーブスインガー」1990年春からグリュック王国に登場-帯広”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年10月31日)〕。 中世のドイツを代表する名城の一つで「街道の貴婦人」とも呼ばれる「ビュッケブルグ城」を内装や壁画も忠実に再現し〔、1992年(平成4年)8月2日に城の中にホテル「シュロスホテル」が開設された〔“泊まってみる?ドイツの古城-帯広”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1992年8月2日)〕。 ホテルを除いて冬季は休業して〔“もっと北海道 旅遊革命 かんこう 第3部 長年の課題 3 ついえた夢 テーマパークひん死 集客激減かさむ負債”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2001年3月24日)〕当地の観光の繁忙期となるゴールデンウイーク前から営業を再開するのを通例とし〔近藤政晴(2003年6月24日). “グリュック王国 7月1日のオープン延期”. 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社)〕、開園当初の1年間で約74万人が入場したほか〔“爆発 ほっかいどう観光 上”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年8月31日)〕、1991年(平成3年)と1992年(平成4年)には年間約70万人が入場していた〔。 しかし、その後は入場者数が減少して1997年(平成9年)には年間約30万人へ大きく落ち込み、運営する「ぜんりんレジャーランド」の1996年(平成8年)12月期は売上高が前期比約20.1%減の約6.57億円で経常損益は約4.63億円の赤字となり、約23.81億円の累積損失を抱えるに至った〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グリュック王国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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