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グリルパルツァー : ミニ英和和英辞書
グリルパルツァー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

グリルパルツァー ( リダイレクト:フランツ・グリルパルツァー ) : ウィキペディア日本語版
フランツ・グリルパルツァー[ちょうおん]

フランツ・グリルパルツァー(Franz Grillparzer, 1791年1月15日 - 1872年1月21日)は、オーストリアの劇詩人。
== 生涯 ==
ウィーンの弁護士の家庭に生まれ、ウィーン大学で法律を学ぶ。大学時代に父を亡くし、母と3人の弟を養うために勉学の傍ら家庭教師をして過ごした。1814年より大蔵省に採用され役人として勤め始める。1816年ブルク劇場の監督ヨーゼフ・シュライフォーゲルと知り合って彼の指導を受け、処女作品『先祖の女亡霊』を執筆。1817年にブルク劇場で上演されて成功を収め、役人勤めを続けながら劇作家としての活動を始める。
1817年に弟の一人が入水自殺、1819年に母が精神錯乱のすえ自殺、またこの時期に従兄弟の妻との不倫関係に陥るなどの苦難に見舞われながら、『サッフォー』(1817年)、『金羊皮』(1818年-1819年)、『主人の忠僕』(1829年)、『海の恋波の恋』(1829年)などの劇作品を執筆し成功を収めた。
熱烈なヨーゼフ主義者であったグリルパルツァーは1819年のコンコルダート締結に怒り、ピウス7世を揶揄する詩『カンポ・ヴァキーノ』を書き発表したために、フランツ1世の不興を買い、要注意人物として作品の作品は検閲の対象となった。1832年には宮廷資料室長に任ぜられ作品執筆のための十分な時間を確保できるようになるが、1838年に執筆した『嘘つきに災あれ』のブルク劇場での初演が不評であったことをきっかけに作品を公的に発表することをやめ、以後に執筆した戯曲はいっさい出版、上演を認めなかった。
1848年三月革命ではヨーゼフ・ラデツキー将軍を讃える詩を書き愛国詩人としてもてはやされる。1850年マクシミリアン大公から詩を沿えたファンレターが月桂樹の一枝とともに届き、これにグリルパルツァーが礼状を送ったことを機に交流が始まり、マクシミリアンがメキシコ皇帝になると彼にグアダルーペ十字勲章を授章している。1867年にメキシコでマクシミリアンが銃殺されるが、その遺体を引き取りに赴いたヴィルヘルム・フォン・テゲトフ提督が1871年に急死すると、提督の銅像をヴォーティフ教会の前に建てる趣意書を提案している。
晩年にはブルク劇場に就任したハインリヒ・ラウベによってグリルパルツァーの再評価がなされたが、全集出版の企画などにも応じず、生涯独身のままひっそりと世を去った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランツ・グリルパルツァー」の詳細全文を読む




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