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グリーシーグラス川の戦い : ミニ英和和英辞書
グリーシーグラス川の戦い[たたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

グリーシーグラス川の戦い ( リダイレクト:リトルビッグホーンの戦い ) : ウィキペディア日本語版
リトルビッグホーンの戦い[りとるびっぐほーんのたたかい]

リトルビッグホーンの戦い(Battle of the Little Bighorn)は、1876年6月25日アメリカ合衆国モンタナ州リトル・ビッグホーン川流域で行われたアメリカ陸軍と北米先住民インディアンとの戦いである。ちなみに、これは白人側の呼称であって、インディアン側の呼称は、「グリージーグラス川の戦い」(Battle of the Greasy Grass)である。
==概要==
当時、アメリカ連邦政府において、先住民インディアンに対して宥和的政策をとるグラント大統領に対し、インディアンに不信感を持つ反グラント派が対立していた。
1874年、ミズーリ軍管区司令官フィル・シェリダン南北戦争で活躍した部下のジョージ・アームストロング・カスターに命じてインディアンの聖地への遠征を行った。協定に違反した連邦政府にインディアン側は不信感を強めることとなった。
同年6月、クルック隊はクレイジー・ホースの部隊と戦闘を行った後に後退。カスターの属するテリー隊はリトルビッグホーン川(グリージーグラス川)をさかのぼって南下進軍した。
1876年、陸軍相シャーマンはインディアン掃討軍を編成。カスターは第7騎兵隊の連隊長として参加を許される。作戦はモンタナ州南東部のスー族の本拠をギボン隊、クルック隊、テリー隊で三方から包囲するものであった。
カスター隊のインディアン斥候は、河沿いに集結していたインディアン諸部族約1500名のティピー野営地を発見した。テリー、ギボン隊は挟撃を目論み、26日に総攻撃を予定してカスター隊を南方の川上に派遣。この際、ギボンはカスターに「カスター君、あんまり欲張るもんじゃないよ、インディアンはなにしろたくさんいるからね」と忠告している。カスターが最も信頼していたインディアン斥候、リー族(アリカラ族)のブラッディ・ナイフ酋長や、サンテ・スー族とフランス人の混血斥候ミッチ・ブイエ(どちらも戦死した)も、「スー族の数が多すぎるから、気を付けるように」と何度も何度もカスターに忠告していた。彼ら斥候は戦力面での不利をみて、遺品をカスターに預けるなどして戦死を覚悟した。
このとき野営していたインディアン部族は、友好同盟を結んだラコタダコタスー族シャイアン族アラパホ族の連合軍で、ゴール(ハンクパパ・スー族)、クレイジー・ホース(オグララ・スー族)、ツー・ムーンズ(シャイアン族)などの著名な戦士が参加していた。彼らは宗教行事「サン・ダンス」と、激しくなる一方の白人の保留地政策に対する今後の方針を合議すべく、会議のティピーを建て、連日話し合いが行われていた。彼らの側を流れる川は、油ぎってべとべとする草が密生していたため、インディアンたちは「油っこい草の川(グリージーグラス川)」と呼んでいた。
6月25日、日曜日の正午までに、カスター隊は野営のそばに到着した。一方、インディアン側もすでに斥候の報告で、カスター隊の接近にとうに気付いていた。朝から彼らの野営のあちこちには、近づく戦に備えて準備するように、との伝令が回っていた。インディアンたちは夜遅くまで踊りに参加していて、昼前まで寝ているものも多かった。昼頃になると、暑さのためにインディアン達は動きを止め、のんびりと馬に草を食ませたり、年少の戦士は川で水浴びをしていた(ブラック・エルクウッドン・レッグアイアン・ホークらの証言)。

カスターの副官マーカス・リノは、「慎重にいくべきです」と進言したが、手柄に逸るカスターはこれを聞き流し、本隊を三つに分け、リノ隊を渡河させて威力偵察を行わせた。
まずリノ隊はハンクパパ族の野営に襲いかかったが、ハンクパパ側にオグララ族が加勢したちまち撃退された。ブラッディ・ナイフや、ロンサム・チャーリー・レイノルズら斥候がこのとき戦死し、草に火を放たれたリノ隊は煙に巻かれて散り散りとなった。クレイジー・ホースらオグララ族は敵の数の少なさを見て用心し、敵の動きを読んで野営地を挟む川の下流側へと進んだ。ゴールらハンクパパ族は、川を渡ってディープ峡谷の方角へ馬を進めた。

こうしてリノ隊がグリージーグラス川の上流でインディアン部隊と戦っている間に、カスターは独断で総攻撃を命じた。カスター隊は川の東側から南に向けてメディシン・テイル峡谷を越え、ディープ峡谷を越えるあたりでゴールの一隊の攻撃を受けた。ゴールらが北方の下流へとカスター隊を追い詰めていく間に、インディアン連合部隊は反対側に進撃、カスター隊は南北から挟み撃ちになった。こうして逃げ場を失ったカスターの本隊は全滅し、結果、カスターもろとも直属の225名が全員戦死した。インディアン側では、スー族だけで136人戦死し、160人が負傷した(他の部族は詳細不明)。
インディアンたちはさらにリノ隊を追い詰めたが、その時、ギボン隊の到着が見え、インディアン隊は退却することとした。こうしてこの世紀の戦いは終わった。
しばしば「インディアン側による奇襲、虐殺」と語られるが、インディアン達は儀式や会議のために集まっていたのであり〔スー族の戦士レッド・ホースが戦後に描いた絵では、中央にシャイアン族の会議用ティピーが描かれている。 〕、戦を始める準備をしていたわけではない。戦いは突然カスター側から仕掛けられたのであり、ブラック・エルクレッド・ホース、リノを始め、当事者は「奇襲したのはカスターのほうである」と口を揃えて証言している。インディアン側も上記のように多数の戦死者を数えており、一方的な虐殺であったわけでもない。
シッティング・ブル(彼は戦いそのものには参加していない)はこの戦いの直前に単独でサンダンスの儀式(太陽の踊り)を行い、「大勢の白人との戦闘が起こり、青い服を着た白人達(青い制服を着た第7騎兵隊)が、天から真っ逆さまに落ちていくヴィジョン(幻視)を得た」と述べている。
カスター隊は、多数の「インディアン斥候(Indian Scouts)」を投入した。ほとんどが、スー族と長年にわたって敵対していたクロウ族アリカラ族ポーニー族たちだった。スー族のゴール酋長は、この戦いの中で幼い頃からの宿敵だったブラッディ・ナイフ酋長を殺した。アリカラ族は、現在でもパウワウで「ブラッディ・ナイフ酋長の踊り」を舞い、この酋長の武勇を称えている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リトルビッグホーンの戦い」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of the Little Bighorn 」があります。




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