|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
グリーングラスは、日本の競走馬である。テンポイント、トウショウボーイとともに、3頭の馬の頭文字を取ってTTGと称され、三強の一角を担った。クラシック戦線最後の菊花賞で花開いた晩成の馬で、第三の男とも呼ばれた。競走成績26戦8勝。おもな勝ち鞍は菊花賞、天皇賞(春)、有馬記念など。1979年には年度代表馬と最優秀5歳以上牡馬に選出される。妹に1979年のクイーンステークスの勝ち馬ハザマファーストがいる。 * 馬齢については原則旧表記(数え)とする。 == 生涯 == === 誕生・デビュー前 === 1973年4月5日、青森県七戸町の諏訪牧場に生まれる。父インターメゾはセントレジャーステークスの勝馬で、競走馬引退後間もなく輸入されグリーングラスがセカンドクロップに当たる新種牡馬、母ダーリングヒメはダービーステークス、2000ギニーの二冠を制したニンバス産駒で、七夕賞や福島大賞典を勝った活躍馬だった。牧場主の間梯三によれば、当歳時は「ホレボレするような馬」で、「欲しいという人が何人もいて、どこに行かせたらよいか困った」というほど際立っていた。しかし2歳春になると背が伸びだし、10月の時点で体高(キ甲=首と背の境から足元まで)は163cmに達していた〔白井1980、28頁〕 〔当時、中野吉太郎は「キュウリにワリバシを刺したみたいだ」とよく言っていたという(白井1980、20頁)。競走馬引退時には体高170cmに達しており、細身の馬体は曾祖母ダーリング(トキノミノルの全姉)の系統の特徴という(白井1980、28頁)。〕。 1974年11月、馬主の半沢吉四郎の地元福島競馬場へ入厩。調教の動きから早くから評判となり、3歳の4月になると福島遠征中の増沢末夫が毎朝自主的に調教を買って出たりしている。半沢によればこのとき増沢は「ハイセイコー以上」とコメントしたという 〔白井1980、18頁〕 〔後に菊花賞をグリーングラスで制した安田富男も福島に遠征してきており、この頃から同馬への騎乗を希望していた(白井1980、23頁)。〕。その後中山競馬場の中野厩舎へ入厩したが〔美浦トレーニングセンターの開設は1978年4月。〕、風邪をこじらせてしまい3歳時は未出走に終わる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グリーングラス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|