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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アーサー・ヘスケス・グルーム(Arthur Hesketh Groom、1846年9月23日 - 1918年1月9日)は、幕末から明治にかけて日本で活躍したイギリス出身の実業家。六甲山の開発と景観保護に力を注ぎ、「六甲山開祖」と呼ばれた。 == 経歴 == 1846年9月22日、イギリスのロンドン郊外で生まれた。トーマス・ブレーク・グラバーとともにグラバー商会を設立した兄のフランシス・グルームの勧めで同商会に勤務することになり、訪日。長崎での勤務を経て1868年4月に支店を開設するための出張員として開場したばかりの神戸外国人居留地を訪れた。 1870年にグラバー商会は倒産し、グルームは元同僚と共同出資して居留地101番地〔現在、この場所には三共生興スカイビルが建てられている。〕にモーリヤン・ハイマン商会を設立。日本茶の輸出、中国紅茶の輸入などを手掛けた。1883年には横浜居留地へ移住し、生糸の輸出を行ったが業績が思わしくなく、10年ほどで神戸へ引き返し居留地内播磨町34・35番地に商社を構え茶の輸出を続けた。 1897年、神戸外国人居留地内にあったオリエンタルホテルをエドワード・ハズレット・ハンターらと共同で買収し、社長に就任した。1908年には居留地6番地に同ホテルの新館を建設。ゲオルグ・デ・ラランデの設計したこの新館は「東洋一の洋館ホテル」と呼ばれ、高級ホテルとして繁盛した。しかし同時期に起こった恐慌のあおりを受けてオリエンタルホテルの経営状態は悪化。1913年に現在の阪神電鉄青木駅近くで横屋ゴルフアソシエーションのあった土地をサミュエル商会に売却。1916年にはホテルの経営権を日本人実業家の浅野総一郎に売却した。 1917年末、神戸外国倶楽部(神戸倶楽部)で開かれたクリスマスパーティーに出席したグルームは泥酔して玄関の石段で転倒し、脳震盪を起こした。翌1918年1月2日、同じ神戸倶楽部で開かれた新年会に出席したグルームはまたもや泥酔した挙句玄関の石段で転倒し、頭部を強打。傷口から破傷風に感染したことが原因で9日に死亡した。遺言により葬儀は仏式(日蓮宗)の家族葬で営まれ、遺体は火葬されて春日野墓地にあった妻の実家・宮崎家の墓に葬られた。戒名は英知院具理日夢居士。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アーサー・ヘスケス・グルーム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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