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グレアム・コクソン(Graham Leslie Coxon、1969年3月12日 - )は、イギリスのミュージシャン、ギタリスト、シンガーソングライター。イギリスのロックバンド・ブラーのギタリスト。コルチェスター出身。 == 来歴 == 英国空軍の軍楽兵であった父親の赴任先である旧西ドイツ・リンテルンで生まれる。5歳まで西ドイツ中を転々としながら暮らし、その後父親が北アイルランド赴任となったことに伴い一時祖父に引き取られ、イギリスのダービーで生活。父親が退役した1970年代終わりに一家はイギリスのエセックス州のコルチェスターに移った。公立中高等学校時代の11歳の時、一学年上のデーモン・アルバーンと知り合い、音楽を通じて親交を深める。また、この頃から独学でギターを学び始める。下級6学年終了時に中高等学校を退学し、デーモンの父親が学長を務めるアート・スクールに入学。2年間芸術を学ぶ。アート・スクール時代、いくつものバンドを渡り歩き、この時に後にブラーのドラマーとなるデイヴ・ロウントゥリーとバンド仲間として知り合う。 1987年9月、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジのファイン・アート科に入学。同じく新入生として入学した後のバンド・メイト、アレックス・ジェームスとすぐに打ち解け、親友となる。大学2年時の1988年12月、大学の同級生となったデーモンの作ったバンド、サーカス(Circus)にギタリストとして加入。バンドにはグレアムの紹介でドラムのデイヴも参加していたが、後に同じくグレアムの紹介でアレックスがベーシストとして加入し、バンド名をシーモア(Seymour)に改名。1990年3月、さらにブラー(Blur)に改名し、メジャー・デビューを果たす。バンドのデビューを機に学業から離れた。バンドでは、ギターの他にボーカル、コーラス等も担当。また、サウンド・プロデュース面でも大きな役割を果たす。 1994年、バンドがブレイクし、一躍ブリットポップムーブメントの中心に君臨するが、華やかな成功劇に付き物である退廃的で暴力的な生活、スターバンドの一員でいることへの疲弊からうつ状態になり、アルコール中毒を患う。元来ローファイな音楽を好んでいたこともあり、フロントマンのデーモンとも、ポップになりすぎたブラーの音楽性を巡って対立し疎遠状態になりつつあったが、音楽に対してどれだけ貪欲で意欲的であるかを手紙でやりとりすることにより関係を修復していった。 1997年、ブラーの楽曲「ユー・アー・ソー・グレイト」では、単独での作曲と作詞、ボーカルも担当。また、1999年のアルバム、『13』の「コーヒー&TV」では作詞とボーカルを、「テンダー」では作詞を担当した。 1998年、ソロ活動を開始。自身で立ち上げたレーベル、トランスコピックから、アコースティック・サウンドが特徴的な宅録アルバム、『スカイ・イズ・トゥ・ハイ』を発表。 2000年にはノイジーでパンキッシュなアルバム『ザ・ゴールデン・ディー』、2001年に『クロウ・シット・オン・ブラッド・トゥリー』、2002年には『キス・オブ・モーニング』と年に一枚のペースでソロ・アルバム発表する。 2003年、ブラーのアルバム、『シンク・タンク』のレコーディング時、デーモンと音楽性の相違を巡って対立し、ブラーを脱退〔しかしブラー脱退のきっかけとなった『シンク・タンク』を実は好きだった事が、後に自身の発言によって明らかにされている。〕。ソロ活動に専念する。 2004年にはブラー時代のプロデューサー、スティーヴン・ストリートを起用し、『ハピネス・イン・マガジンズ』を発表。自己最高となる全英19位を獲得し、英国音楽界を代表する音楽賞、NMEアワーズで2005年度の最優秀ソロ・アクト賞を受賞した。2004年8月、フジロック・フェスティバルに出演。2006年にはソロとして6枚目のアルバムとなる『ラヴ・トラヴェルズ・アット・イリーガル・スピーズ』を発表。9月に単独来日。2007年8月のVフェスティバルでは、ヴァージン・モバイル・ユニオン(第4ステージ)のヘッドライナーも務めた。 2008年秋、デーモンと和解し、ブラーに復帰することを発表。翌2009年、ハイドパークやグラストンベリー・フェスティバルで再結成ライブを行った。 同2009年には、初のコンセプト・アルバム、『ザ・スピニング・トップ』を発表。2012年には初めてエレクトロニック・サウンドを多用して新境地を見せた8枚目のソロアルバム、『A+E』をリリースし、音楽各誌から高い評価を獲得した。 2015年に発表されたブラーの12年ぶりとなるアルバム『ザ・マジック・ウィップ』では、アルバムの制作をデーモンに進言し、プロデュース面でも主導的立場に立つなど、ブラーのアルバムとしてはかつてないほどグレアムが前面に立って制作が行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グレアム・コクソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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