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『Grey Skies』(グレイ・スカイズ)は、1976年9月25日に発売された大貫妙子通算1作目のスタジオ・アルバム。 == 解説 == 大貫妙子はシュガー・ベイブのメンバーとして3年弱の活動を経て、1976年にクラウン・レコードと契約。ソロ・アーティストとして活動をはじめることになった。当時の様子を大貫は「シュガー・ベイブを離れて一人になったら、全く自信がなかった。もう、このままやめるんじゃないかと思ったし。でも、周りの勧めにより、続けていこうと。いつも、山下くんの影に隠れてピアノを弾いていただけの存在だったけど、そんな私にも何か可能性を感じてくれた人がいたんですね。話を進めてくれたのは、後に『ロマンティーク』〔『ROMANTIQUE』 1980年7月21日発売 RCA ⁄ RVC LP:RVL-8049〕と『アヴァンチュール』〔『AVENTURE』 1981年5月21日発売 RCA ⁄ RVC LP:RHL-8507〕をプロデュースしてくださった牧村さんです。そういう意味では周りの人に恵まれていた」「乗り気ではなかったというか、不安は大いにありました。でも、シュガー・ベイブが売れてたわけじゃないし、ソロになって初めの第一歩だから、そんなにプレッシャーは無かったけど。それよりも、自分の好きな人とできるということで楽しかった。私が一緒にお仕事したいアレンジャーが何人かおりまして、頼んだら皆やってくれるというので、あの頃はスタジオに入ってヘッド・アレンジみたいな感じでワイワイっていう感じで作りました。でも、あんなにレコーディングで疲れたことはありませんでした。シュガー・ベイブの時っていうのは、自分のパートだけこなしてればよかったし、歌も数曲でよかったわけだし。でも、ソロでは全部自分でやらなければいけなかった。だから、緊張しちゃって。で、つきあう人も初めての人が多かったし、気を遣って、ものすごく疲れた」「それでも、まだ『グレイ・スカイズ』を出したときは半信半疑でした。これからどうやっていくかも具体的に考えられませんでした。とにかく、これからは自分でやっていこうと思った時に、やっぱり音楽的パートナーが必要だった。今までは山下くんというパートナーがいたわけで。いろいろな人とソロ・アルバムで仕事した中で、坂本さんとの出会いが、ものすごく自分にとって大きかったわけですね。まだ彼はそんなに有名ではなかったけれど、とても才能のある人だと思ったし、もう芽生え始めていましたから。その頃、新しいシンセサイザーが出だした頃で、いち早く取り入れて使っていました。随分、勉強熱心だったし、研究熱心だったから。『グレイ・スカイズ』の中でやってるんだけど、彼のアレンジで。坂本くんも、最初は私の仕事を通じて、いろいろ試しながらやってたようなところがある。でも、自分のやりたいものとはすごく近いところを持っていた、最初から。私のメロディーというのは、すごく器楽的なので、どこかクラシックの要素が強く、その点、坂本くんは基本的なところで、よく理解してくました」と答えている。さらに「今まで詞を先に書いたことは一度もありません。全部メロディーが先です。この頃はヘッド・アレンジといって、前もってアレンジは考えてくるという事はしないで、スタジオに入ってみんなであーだこうだ言いながら作るシステムだったんです。1曲1曲に関して、そういう感じでのんびりやりました。ここで関わったアレンジャーたちとは後々もやはりずっと付き合っていく訳なんです」〔と話している。 アルバムからのシングル・カットはなかったが、プロモーション用に「愛は幻」が、「One's Love」とのカップリングで制作された〔「愛は幻 c/w One's Love」 1976年 PANAM ⁄ CROWN EP:S-9〕。 タイトルは英語で“曇り空”の意味。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Grey Skies」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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