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グレッグ・オールマン : ミニ英和和英辞書
グレッグ・オールマン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

グレッグ・オールマン : ウィキペディア日本語版
グレッグ・オールマン[ちょうおん]

グレゴリー・ルノワール・オールマン(Gregory Lenoir Allman', 1947年12月8日 - ) アメリカ合衆国のミュージシャン。サザンロックのバンド、オールマン・ブラザーズ・バンドのボーカリスト兼オルガンプレイヤー、グレッグ・オールマン(Gregg Allman, Greg Allman)としてよく知られる。同バンドのギタリスト、デュアン・オールマンは彼の兄。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第70位。
== 経歴 ==
1947年テネシー州ナッシュビル生まれ。その後一家でフロリダに移住。1959年にナッシュビルの祖父母の家に滞在中、隣人の家から漏れてくるギターの音に魅了され、ギターを購入。ギターを始めたのは兄のデュアン・オールマンよりもグレッグが先であった(兄はそのころバイクに夢中)。当時からグレッグ=優等生 デュアン=不良の図式があり、勉強もよくできたグレッグは、一生懸命バイトしてギターを買ったそうである。偉大なるギタリスト、兄デュアン・オールマンにギターを教えたのもこの弟。その後兄弟はオーティス・レディングB.B.キングなどの黒人R&Bに熱中し、1961年に地元のバンドで演奏するようになる。
1965年、グレッグの高校卒業を機に「オールマンズ・ジョイズ」を結成。南部を中心にツアーに出る。その後「アワーグラス」を結成しリバティ・レコードと2枚のアルバム契約に至り、活動の拠点をロサンゼルスに移す。結局、レコード会社のヒット狙いの志向のため、二人のブルース、R&Bという持ち味を発揮することはできなかった。3枚目のアルバムでB・Bキング・メドレー(デュアン・オールマン・アンソロジー収録)に代表されるような二人の音楽性が十分発揮され、ようやく満足の行くものが出来上がったが、レコード会社は発売を拒否。彼らは南部に戻り、「アワーグラス」は解散。
しかし、故郷のフロリダに戻ったグレッグは一人再びロサンゼルスに向かう。当時レコード会社はデュアンではなく、グレッグにソロシンガーとしての才能を見出し、アワーグラスでの借金を帳消しにするという提案をグレッグに持ちかけたのだ。しかしその後、グレッグのロサンゼルスでの活動はポコ(POCO)のボーカルオーディションに落ちるなど、あまりぱっとしなかった。
そんな中、1969年、遠い故郷でボーカル以外の最強のメンバーが兄・デュアンによって結成されており、兄の誘いを受け、メンバーの最後にグレッグが加わることでオールマン・ブラザーズ・バンドが誕生する。
デュアンの死後もオールマンの活動を支え続け、現在に至る。
1973年にオールマンの活動と平行して制作された初のソロアルバム『レイド・バック ''LAID BACK''』はオールマンという枠を超えた一人のグレッグ・オールマンというアーティストの才能を、存分に感じ取ることができる1970年代屈指の名盤である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「グレッグ・オールマン」の詳細全文を読む




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