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グレナダの海戦 : ミニ英和和英辞書
グレナダの海戦[ぐれなだのかいせん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

海戦 : [かいせん]
 【名詞】 1. naval battle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 

グレナダの海戦 : ウィキペディア日本語版
グレナダの海戦[ぐれなだのかいせん]

グレナダの海戦 (グレナダのかいせん、)は、アメリカ独立戦争中盤の1779年7月6日に、イギリス領西インド諸島グレナダ島海岸沖で、フランス海軍イギリス海軍の間に行われた海戦である。ジョン・バイロン提督指揮下のイギリス艦隊がグレナダ島沖に到着し、島を占領したばかりのデスタン伯爵指揮下のフランス軍から取り返そうとした。
バイロンは戦力的に優位にあると思いこみ、グレナダの停泊地を離れたばかりのフランス艦隊に対して、総攻撃を命じた。イギリス艦隊の攻撃が秩序立っていなかったことと、戦力的にフランスが優位だったために、イギリス艦隊は大きな損傷を被った。ただし、艦船の沈没までは免れた。海軍歴史家のアルフレッド・セイヤー・マハンはこのイギリス艦隊の損失を「(1690年の)ビーチーヘッドの海戦以来の大変な惨事だ」と記した〔Mahan, pp. 438–439〕。フランスは勝利したにも拘わらず、それ以上攻撃を続けようとはせず、折角得られた戦術的優位を有効に使えなかった。
== 背景 ==

1778年初期にフランスが仏米同盟によってアメリカ独立戦争に参戦した。フランス海軍のデスタン提督は1778年12月初旬に西インド諸島に到着した。その艦隊は12艦の戦列艦に多くの小艦艇が組み合わされていた〔Mahan, pp. 429–431〕。これと同じ頃、イギリスのウィリアム・ホザム提督が指揮する艦隊もカリブ海に到着しており、サミュエル・バーリントン提督指揮下の西インド諸島艦隊を補強した〔Mahan, p. 429〕。イギリス艦隊は続いてフランスが保持していたセントルシアを占領した。このときはデスタンの艦隊が救援に駆けつけたが実らなかった。イギリスはデスタンが本拠地にしているマルティニーク島を監視するためにセントルシアを使った〔Mahan, pp. 429–432〕。
1779年1月、ジョン・バイロン提督指揮下の戦列艦10艦が到着し、イギリス艦隊はさらなる補強を受けた。バイロンがイギリス領リーワード諸島の指揮を引き継いだ〔Colomb, p. 388〕。1779年の前半にフランスもイギリスもさらに補強されており、フランス艦隊がイギリス艦隊を凌ぐようになった〔Colomb, pp. 388–389〕。これに加えて、セントキッツ島に集結していたイギリス商船の船団をヨーロッパまで護送するために、バイロンが6月6日にセントルシアを離れたので、デスタンは自由に行動できるようになった。デスタンとマルティニーク総督のド・ブイエ侯爵はこのチャンスを捉えて、近くにあるイギリス領の島々への一連の作戦を開始した〔Colomb, p. 389〕。
その最初の標的が、セントルシア島のすぐ南にあるセントビンセント島であり、これを6月18日に占領した後は他の島々に関心を移した。続いてイギリスの重要な拠点であるバルバドス諸島の占領を考えたが、この時点では東よりの貿易風が吹いていたために進むことができず、その代わりに矛先をグレナダに向けた〔Colomb, p. 390〕。フランス艦隊は7月2日にグレナダに到着し、7月3日遅くからその守備隊主力に襲い掛かった。降伏の条件は7月4日に合意された〔Colomb, p. 391〕。
バイロン提督は7月1日に、フランス軍によってセントビンセント島が占領されたことを知らされ、部隊を載せて島を取り返しに向かってた。さらにグレナダがフランス軍に攻撃されたのを知った時は、即座に進路を変更してフランス軍と対戦すべくグレナダに向かった〔。この時のイギリス艦隊は戦列艦21艦とフリゲート艦1艦で構成されていた。陸兵の輸送船を護送しており、フリゲート艦が足りなかったので、戦列艦3艦を輸送船の護送に宛てた。デスタンは7月5日にバイロン艦隊が近付いていることを知らされ、即座に部隊の大半を乗艦させた。その艦隊は戦列艦25艦と多くのフリゲート艦および小艦艇で構成されていた〔Mahan, pp. 434–435〕。バイロンはセントルシアを離れていた間に、フランス艦隊がヨーロッパからトゥーサン=ジローム・ピケ・ド・ラ・モットの指揮する戦隊で補強され、戦力を増していたのを知らなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「グレナダの海戦」の詳細全文を読む




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