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グレプ・ログヴォロドヴィチ : ミニ英和和英辞書
グレプ・ログヴォロドヴィチ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


グレプ・ログヴォロドヴィチ : ウィキペディア日本語版
グレプ・ログヴォロドヴィチ
グレプ・ログヴォロドヴィチ(、? - 1186年頃)はポロツク公ログヴォロドの子である。ドルツク公位にあった人物であり、その在位はおそらく、1144年 - 1151年、1159年 - 1162年、1171年以降 - 1180年代である。
原初年代記』のイパーチー写本(ru)においては、グレプは1180年に、スモレンスク公ダヴィドの同盟者のドルツク公として言及されている。
スモレンスク公ダヴィドは、対立していたチェルニゴフ公家(オレグ家(ru))に対し、グレプのドルツク公位を承認させたが、同時に、オレグ家の長子系の公であるスヴャトスラフ(ru)(この時期キエフ大公)らからの攻撃も予想されることであった。1181年、スヴャトスラフの兄弟の、チェルニゴフ公ヤロスラフが、ノヴゴロド・セヴェルスキー公イーゴリと共にドルツクへの包囲戦を開始した。ヤロスラフらはドルツィ川の左岸(ドルツクの対岸)に陣を敷き、スヴャトスラフ隊やノヴゴロド・セヴェルスキー公国ドルジーナ隊の到着を待った。スヴャトスラフ隊がドルツクに近接すると、ダヴィドは夜陰にまぎれてスモレンスクへ逃亡した。スヴャトスラフらはドルツクのオストログを焼き、ダヴィドを追うことなく引き上げた。おそらく、グレプもまた、ドルツクの放棄を余儀なくされている。
==参考文献==

*Полное собрание русских летописей. Т. 2. — М., 1962



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「グレプ・ログヴォロドヴィチ」の詳細全文を読む




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