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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ザ・グレート・メフィスト(The Great Mephisto、本名:James Ault〔、1936年〔 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。オハイオ州コロンバス出身〔。ギミック上の出身地はサウジアラビア〔。 ザ・シークの影響下にあるアラブ人ギミックのヒールとして、NWAの各テリトリーで活動した。ジョージア地区ではアブドーラ・ザ・ブッチャーらのマネージャーも務めた。 == 来歴 == デビュー後の1960年より、フランキー・ケイン(''Frankie Cain'')のリングネームでテネシーのミッドアメリカ地区やノースカロライナのミッドアトランティック地区、オクラホマのトライステート地区など各地で活動。1963年12月、アリゾナ州ツーソンにてドン・ケントを破りアリゾナ・ヘビー級王座を獲得。1965年7月13日にはテネシー州メンフィスにてマイク・クランシーと組み、トージョー・ヤマモト&ミツ・ヒライからミッドアメリカ版のNWA南部タッグ王座を奪取した。 1966年下期、フロリダにてロッキー・スミスをパートナーに、自身はインフェルノ1号、スミスはインフェルノ2号を名乗り、ジ・インフェルノス(''The Infernos'')なる覆面タッグチームを結成。同年10月6日、トーナメントを制してフロリダ版のNWA世界タッグ王座を獲得。以降もホセ・ロザリオ&エディ・グラハム、ホセ・ロザリオ&サム・スティムボートなどのチームと同王座を争った。1968年下期からはテキサスのアマリロ地区に参戦、9月26日にドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクを破り、テキサス西部版のNWA世界タッグ王者にもなっている。 1969年12月よりフロリダにてメフィストと名乗り、ダンテことボビー・ハートとのタッグチームで活動。翌1970年の下期からはグレート・メフィスト(''The Great Mephisto'')としてシングルプレイヤーに転じ、8月13日にヒロ・マツダを下してNWA南部ヘビー級王座を獲得。9月18日にはドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した。以降もフロリダを主戦場に、ヒロ・マツダやジャック・ブリスコ、ボブ・ループ、グレート・マレンコ、ティム・ウッズ、ジョニー・ウォーカーらと抗争を展開した。 1972年6月よりカリフォルニアのサンフランシスコ地区に進出し、ラーズ・アンダーソンやルーク・グラハムと共闘。1973年2月17日にパット・パターソンからフラッグシップ・タイトルのUSヘビー級王座を、4月25日にはキンジ・シブヤと組んでパターソン&ロッキー・ジョンソンからサンフランシスコ版のNWA世界タッグ王座をそれぞれ奪取した。同年下期からはフロリダに戻り、8月16日にポール・ジョーンズを破ってTV王座を獲得している。 1974年1月15日にはダラス地区にてホセ・ロザリオからNWAテキサス・ヘビー級王座を奪取、5月28日にレッド・バスチェンに敗れるまで戴冠し、フリッツ・フォン・エリックやワフー・マクダニエルとも対戦した。1975年はオーストラリアに遠征、同じアラブ人ギミックのスカンドル・アクバらを破り、NWA豪亜ヘビー級王座を2回獲得している。以後、1970年代後半は古巣のフロリダやテネシーで活動。テネシーでは若手選手時代のロバート・ギブソンやテリー・ゴディなどと対戦した。 1980年、ヒールのプレイング・マネージャーとしてジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに登場。アブドーラ・ザ・ブッチャー、マーク・ルーイン、トール・タナカ、キラー・カーン、マスクド・スーパースター、レイ・スティーブンス、トーア・カマタなどを担当し、スタン・ハンセン、ミスター・レスリング2号、トミー・リッチらベビーフェイス陣営との抗争を指揮した〔。同年11月、ザ・シークのパートナーとして全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に来日。開幕戦の後楽園ホール大会ではインフェルノス時代の旧敵ザ・ファンクス、最終戦の蔵前国技館大会ではジョージアでマネージメントしていたブッチャー&カマタと対戦した。 その後は居住地のフロリダにてレフェリーを務める一方〔、覆面レスラーのインフェルノ1号として、1980年代中盤まで試合にも時折出場していた。2010年5月に重度の心臓発作に見舞われたが、一命を取り留めている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グレート・メフィスト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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