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グロリア・モーガン・ヴァンダービルト(Gloria Laura Mercedes Morgan Vanderbilt, 1904年8月23日 - 1965年2月13日)は、アメリカ合衆国の富豪ヴァンダービルト家の相続人の1人レジナルド・クレイプール・ヴァンダービルトの妻。ファッション・デザイナーのグロリア・ヴァンダービルトの母。TVジャーナリストのアンダーソン・クーパーは孫にあたる。 ==生涯== ===生い立ちとレジナルドとの結婚=== ルツェルンで生まれる。父はアメリカの外交官で、のちにブエノスアイレス領事やブリュッセル領事をつとめたハリー・ヘイズ・モーガン。母はアイルランド系アメリカ人とチリ人の両親をもつローラ・デルフィン・キルパトリック。 母方の祖父ヒュー・キルパトリックは南北戦争時の北軍の将軍で、のちチリ駐在アメリカ大使となった。母方の祖母ルイサは、17世紀以来のスペイン系の名家出身である。 一卵性双生児の姉テルマ・ファーネス、妹コンスエロ、マイナーな俳優だった弟ハリー・モーガン・ジュニアがいた。 17歳の時、野心的な母は美しい娘たちに社交界デビューの足がかりを作ろうと、ニューヨークへ移り住み、カトリックの学校へ通わせた。たちまち美しい姉妹は社交界の話題となり、「ヴォーグ」誌の表紙を飾ったこともあった。セシル・ビートンが「優美な彫像のようだ」と、彼女たちをモデルに写真を撮った。 彼女を見そめたのは、ヴァンダービルト家の御曹司、当時43歳のレジナルドだった。彼は離婚歴があり子供もいたが、社交界では競馬と酒の好きなプレイボーイとして知られていた。彼はグロリアに、ティファニーの7万5千ドルの、16カラットもあるダイヤモンドの婚約指輪を与えたという。1923年に2人は結婚し、翌年2月に一人娘グロリア・ローラが生まれた。既にレジナルドはアルコール中毒で肝臓を病んでおり、グロリアが財産目当てで彼と結婚したと噂されても仕方のない状態だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「グロリア・モーガン・ヴァンダービルト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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