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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ケイティタイガーは日本の競走馬。1997年の中山大障害などを制している。 祖母のクロユリは障害戦20勝、阪神大障害(京都大障害の代替開催)に優勝した名馬であり、伯父にブゼンサカエ(1973年京都大障害〈秋〉、1976年阪神障害ステークス〈春〉)、叔母にホウシュウスカイ(1978年阪神障害ステークス〈秋〉)がいる障害一族の出身である。 == 戦績 == 馬齢は当時の表記とする。 中央競馬で競走生活を送る。平地競走でのデビューは遅く1992年6月20日の4歳未勝利戦。8月に3戦目で初勝利を挙げたが、その後管骨骨折により9か月半の休養を強いられた。1993年5月に復帰し、7戦して芝のマイルと2000メートルの競走で2度2着となるなどまずまずの成績を残したが、ふたたび管骨骨折により1年2か月の間実戦から遠ざかった。1994年10月に復帰して4戦したが10、8、9、9着と結果を残せず、7歳になった1995年1月28日より障害競走に転向した。 障害初戦こそ8着に敗れるものの3戦目で初勝利、5戦目で2勝目を挙げるなど活躍を見せる。しかしオープンクラスでは善戦はするが勝ちきれない日々が続き、オープン6戦目で小倉障害ステークスには勝利するが、直線ダートでは伸びを欠き、重賞ではポレール、アワパラゴンなどの強敵の後塵を拝すなど2年以上2、3着を繰り返す成績が続く。 そして1997年の中山大障害(秋)。同レース4連覇を狙うポレールが1番人気に推され、重賞3連勝のアワパラゴンが回避したこともありケイティタイガーは2番人気となった。レースでは好位から早めに抜け出したポレールが粘り込みを図るが、6キログラムの斤量差が響き、いったんは2番手に下がったケイティタイガーが直線で差し返し、決勝線では1馬身半差をつけて優勝した。 翌1998年の東京障害特別(春)は先団から直線は外を通り、内を突いて伸びてきたメジロシンドウをハナ差しのいで重賞連勝を飾った。その後も善戦を続け1999年の中山グランドジャンプでも2着と好走したが、それからは成績が下降し、12歳になった2000年の中山グランドジャンプで11着となった後、秋の京都ハイジャンプに向けて調整が行われていたが、結局出走を見送ってそのまま引退が決まった。 障害競走には40戦以上出走したが生涯落馬することなく、5年以上一線級で安定した成績を残した。 引退後は越田牧場で功労馬として生活したのち、2010年4月から北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUに移動。2011年3月からは同年4月にオープンする乗馬クラブおよび引退馬牧場のホースガーデンしらおいで余生を送る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケイティタイガー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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