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『ケイン号の叛乱』(ケインごうのはんらん、原題:''The Caine Mutiny'')は、1954年制作のアメリカ映画。 ピューリッツァー賞を受賞したハーマン・ウォークの世界的ベストセラー小説(1951年発表)を「ハリウッド・テン」の一人だった監督エドワード・ドミトリク、製作スタンリー・クレイマー、出演ハンフリー・ボガート、ホセ・フェラーなど当時のハリウッドの超一流スタッフ・キャストが総結集、映画史上に残る名作ドラマに作り上げた。 == あらすじ == 第二次世界大戦中の1943年、プリンストン大学を卒業したウィリー・キース(ロバート・フランシス)はナイトクラブ歌手で恋人のメイ・ウィン(メイ・ウィン)に別れを告げ海軍に入隊。仕官候補生少尉としてアメリカ海軍の老朽掃海駆逐艦ケイン号に配属される。戦闘任務を希望していたウィリーには掃海任務は不本意であり、口が悪く人を食ったような態度のデヴリース艦長(トム・テューリー)にも、がさつで下品な乗組員たちにも馴染めなかった。やがてデヴリースは新任務を得てケイン号を去る事となり、新任艦長として着任したクイーグ(ハンフリー・ボガード)と交替して艦を降りる。その離艦の際、乗組員たちのデヴリースに対する畏敬の念に触れたウィリーは不思議がるが、副長のマリク中尉(ヴァン・ジョンソン)は「それが解れば君も一人前だ」と彼に告げる。 クイーグはケイン号の風紀の乱れを直して規律あるものにすると宣言。ウィリーはそんな彼に傾倒する。しかし、徐々に艦内では新艦長に対する乗組員たちの不満が募っていった。クイーグは部下に対して非常に厳格な姿勢で臨む一方で、自らのミスにより起きたトラブルの責任を部下になすり付けるように受け取れる態度を取っていたからだ。部下たちはクイーグを軽蔑し、密かに彼を揶揄する戯れ歌「黄色い染料」まで作って嘲笑する始末であった。マリクはそんな艦内の雰囲気を厳しく戒めつつも内心ではクイーグに対する不信感を募らせていた。配給されたイチゴがなくなった程度の事でクイーグは乗組員全員の所持品検査を命じる。小説家志望で皮肉屋のキーファー中尉(フレッド・マクマレイ)は親友でもあるマリクに対し、艦長には明らかに偏執症(パラノイア)の徴候があり、非常時に下級士官が指揮官を解任できるとする海軍既定第184条に則って副官は指揮を代行すべきだと忠告する。マリクは取合おうとはしなかったが、万が一に備えて艦長の異常行動を記す日誌を密かに付け始める。 そんな矢先、艦は猛烈な台風に遭遇、あわや転覆の危機に陥る。クイーグが取り乱して一時心身喪失状態となり、操艦もおぼつかなくなったとマリクが判断して、クイーグを解任、自ら指揮を執って嵐を乗り切った。彼は帰還後、軍法会議にかけられる事となる。反乱行為で絞首刑の可能性の高い裁判を8人の弁護士が断った。打診を受けた法務将校のグリーンウォルド中尉(ホセ・フェラー)がマリクと共同被告のウィリーに会いに来る。クイーグの非を訴えるウィリーやマリクに対しグリーンウォルドは、たしかに台風で3隻沈んだが、194隻は指揮の交替なしに乗り切ったし、3人の精神科医がクイーグを正常と判定したという。ほぼ勝ち目は無いが、グリーンウォルドは「無実だから」と弁護人を引き受ける。 法廷では士官・乗組員などが証言台に立つが悉く検察官チャーリー中佐(E・G・マーシャル)によって論破され、日誌も医学的根拠がないと一蹴されてしまう。頼りにしていたキーファーも態度を一変させてマリクに不利な証言をする。更には精神鑑定を担当したディクソン軍医(ウィット・ヴィセル)が艦長には何ら精神疾患の兆候も見られないと証言、マリクは窮地に立たされる。そんな状況に至っても、グリーンウォルドは効果的な反対尋問をせず静観する。 やがてクイーグ艦長本人が法廷に登場。ついにグリーンウォルドの起死回生の反撃が始まる…。 そして時は流れ、ウィリーはメイと結婚、新しい艦艇に副長として乗りこんだ。艦長はケイン号の前艦長デヴリースだった〔原作(''The Caine Mutiny'' 新庄哲夫訳『ケイン号の叛乱』ハヤカワ文庫 1975年)は大きく異なる:キーファーがケイン号の艦長になり、ウィリーが副長になって実際を仕切る。沖縄方面に出動して神風特攻隊の攻撃を受け、キーファーがおびえ、ウィリーが全艦の指揮を執る。死と直面して初めてメイと結婚していなかったことを悔み、初めて勇気と愛の本質が分かってくる。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケイン号の叛乱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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