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ケイ晏[けい あん]
邢晏(けい あん、478年 - 528年)は、北魏の学者・官僚。字は幼平。本貫は河間郡鄚県。邢巒の弟にあたる。 == 経歴 == 邢脩年と李氏のあいだの子として生まれた。態度や振る舞いが美しく、文雅を好んだ。経書や史書を広く渉猟して、仏教や老荘を語るのを得意とした。太学博士・司徒東閤祭酒を初任とした。宣武帝の初年、広平王元懐とともに遊宴したことから、鄚県令に左遷されたが、赴任しなかった。給事中に任じられ、司空主簿・瀛州中正・汝南王文学に転じた。ほどなく輔国将軍・司空長史・兼吏部郎中に転じた。輔国将軍のまま南兗州刺史として出向した。洛陽に召還されて、太中大夫となり、高陽王元雍の下で丞相右長史を兼ねた。まもなく輔国将軍のまま滄州刺史に任じられた。528年(武泰元年)2月13日、済陰郡離狐県で死去した。享年は51。征北将軍・尚書左僕射・瀛州刺史の位を追贈された。諡は文貞といった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケイ晏」の詳細全文を読む
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