翻訳と辞書
Words near each other
・ ケシアザミ
・ ケシウミアメンボ
・ ケシオン
・ ケシカスくん
・ ケシケキ
・ ケシム島
・ ケシャ
・ ケシャの作品
・ ケシャン病
・ ケシャヴ・プラム駅
ケシャール・ジュング・ラヤマジ
・ ケシュ
・ ケシュム島
・ ケシュ財団
・ ケショウイトグルマ
・ ケショウフグ
・ ケショウヤナギ
・ ケショウヤナギ属
・ ケシ属
・ ケシ目


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ケシャール・ジュング・ラヤマジ : ミニ英和和英辞書
ケシャール・ジュング・ラヤマジ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ケシャール・ジュング・ラヤマジ ( リダイレクト:ケーシャル・ジャンガ・ラヤマジヒ ) : ウィキペディア日本語版
ケーシャル・ジャンガ・ラヤマジヒ[ちょうおん]

ケーシャル・ジャンガ・ラヤマジヒ(Keshar Jung Rayamajhi、1919年 - 2012年12月17日)は、ネパール政治家ネパール共産党総書記の地位にありながら、マヘンドラ国王のクーデタを支持するなど、非常に奇矯な言動の多かった人物。その言動がネパール共産党の分裂を招いた。
==生涯==
1957年、第二回党大会でネパール共産党第3代総書記に就任。
1960年、ラヤマジヒはマヘンドラ国王のクーデタを支持、インド共産党から批判され、また、党内から反発を受ける。
1961年の政党が禁止され、ネパール共産党が弾圧されるにいたっても、国王の政治に一定の信頼を表明した。そのため路線対立が生じ、インドで中央委員会が一ヶ月も続けられた。
さらに、1964年4月トゥラシー・ラール・アマーティヤはインドで勝手に党大会を開催し、ラヤマジヒを除名し、自ら総書記に就任する。ラヤマジヒは逆にアマーティヤを除名した。
ネパール共産党ラヤマジヒ派と、ネパール共産党アマーティヤ派への分裂である。これ以後、ネパールの共産主義政党は激しい離合集散を繰り返し、現在に至っている。
ネパール共産党ラヤマジヒ派は1985年に解散。その後、新党を結成し、国王から大臣に任ぜられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ケーシャル・ジャンガ・ラヤマジヒ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.