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ケネス・デヴィッド・カウンダ(Kenneth David Kaunda、1924年4月28日 - )は、ザンビアの政治家。同国の初代大統領(在任1964年-1991年)。 大統領を退任した1991年まで発行されていたザンビア・クワチャ紙幣に肖像が使用されていた。 == 経歴 == イギリス領だった北ローデシアで、マラウイ出身のスコットランド長老派教会の牧師の8番目の末っ子として生まれる。1951年、北ローデシアアフリカ民族会議が結成されるとそれに参加し、党の事務局長となったが、1958年離党。1960年に統一民族独立党 (UNIP) を結成し、独立運動を展開。1962年の選挙で過半数を獲得し、北ローデシア植民地政府首相となる。 1964年ザンビアが独立すると、統一民族独立党を率いてそのまま大統領に就任。経済的には、欧米資本に握られていた鉱山などを国有化し社会主義政策を進めた。1970年代までは、主力である銅の輸出が好調だったため経済も潤っており、市民の支持を背景に独裁の傾向を強め、1972年には統一民族独立党以外のすべての政党を禁止し、一党独裁政治を行った。外交面では、アフリカ民族主義の指導者の一人であり、南隣のローデシアや、アパルトヘイト体制下の南アフリカ共和国と対立。ロバート・ムガベやネルソン・マンデラを支援し、ジンバブエ建国を支持した。 しかし、1980年代に入ると銅の価格の暴落により経済が悪化。政治の腐敗も深刻なものとなり、市民の不満が高まったため、1991年に民主化を行い、複数政党制による大統領選挙を実施。複数政党制民主主義運動(MMD)のフレデリック・チルバに敗れ、下野する。 1992年、カウンダは統一民族独立党の党首を辞任。与党MMDはカウンダを敵視し、国籍要件の変更によりカウンダの大統領選出馬を不可能にし、またさまざまな弾圧を行ったため、UNIPは1996年の選挙をボイコットした。 1997年、クーデター未遂事件が起こり、MMDは容疑者としてカウンダを逮捕したものの、やがて釈放された。2000年、カウンダは政界を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケネス・カウンダ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kenneth Kaunda 」があります。 スポンサード リンク
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