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ケネス・ヤマダ(けねす やまだ、Kenneth Manao Yamada、1944年9月- ) は米国育ちの米国の細胞生物学者・男性。日系3世。米国・NIHの国立歯科・頭蓋顔面研究所の細胞/発生生物学部・部長。専門は、細胞接着分子の細胞生物学。数十人の日本人生命科学者が、彼の研究室でポスドクとして研究した。 == 研究概要 == 米国 スタンフォード大学のベッセルス(Norman K. Wessells〔K. Wessells 〕)の研究室で、培養細胞を用いて、神経軸索成長の仕組みを、マイクロフィラメントや微小管との関係で研究したのが、研究人生のスタートだった。最初の論文を、1970年、26歳のときに出版した。 1974年、オレゴン大学・生物学部、J.A. Weston研究室のポスドクだったケネス・ヤマダは、ニワトリ繊維芽細胞から細胞表面のタンパク質を単離し「CSP」( Cell Surface Protein)と命名した。「CSP」は、その前年の1973年、英国 王立がん研究基金 のリチャード・ハインズ(Richard O. Hynes)が、培養細胞のがん化に伴い細胞表面から消失するタンパク質として発見したフィブロネクチンと同じタンパク質だった。 1974年、細胞のがん化に関連するタンパク質を単離した縁で、NIHの国立がん研究所・分子生物学部(パスタン部長)の研究員に採用された。 1976年、フィブロネクチンの細胞接着活性を発見した 1983年、ポスドクの林正男と共に、フィブロネクチンのドメイン構造を決定した 。 1985年、ポスドクの長谷川孝幸・悦子夫妻と共に、フィブロネクチン・レセプタータンパク質を単離した 。 1990年、米国・NIHの国立歯科・頭蓋顔面研究所の発生生物学部・部長に就任した。 その後も含め、フィブロネクチン、細胞接着分子、細胞外マトリックス、インテグリン、細胞内シグナル伝達、細胞骨格に焦点を合わせ、細胞接着、細胞移動、がん細胞の浸潤、細胞外マトリックス構築、組織形態形成を研究している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケネス・ヤマダ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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