|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。
ケビン・フォン・エリック(Kevin Von Erich、本名:Kevin Ross Adkisson、1957年5月15日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの息子(次男。レスラーのフォン・エリック兄弟としては長男)である。 現役選手時代は空中技を得意とするベビーフェイスとして、フォン・エリック・ファミリーでは唯一シュ-ズを履かず素足でファイトしていた。 2012年には長男ロス・フォン・エリック、二男マーシャル・フォン・エリックがプロレスリング・ノアへ入団し、プロレスラーとしてデビューしている。また、これに合わせてケビン本人も同団体のGHCタイトル管理委員に任命されている。 == 来歴 == ノース・テキサス大学でアメリカンフットボールの選手として活動後、1976年にデビュー。父フリッツの主宰するテキサス州ダラスのNWAビッグタイム・レスリング(後のWCCW)にてキャリアを積み、1978年12月にブルーザー・ブロディからNWAアメリカン・ヘビー級王座を奪取。中西部のセントルイス地区でも活躍し、1979年11月にはディック・マードックを破りNWA世界王座への登竜門であるミズーリ・ヘビー級王座を獲得、翌1980年4月にケン・パテラに敗れるまで保持した。 日本へは1979年5月にNWAルートで全日本プロレスに初来日。1981年5月の再来日では弟デビッドとのタッグでグレート小鹿&大熊元司の極道コンビからアジアタッグ王座を奪取したが、シリーズ中に石川隆士&佐藤昭雄に破れ短命王者に終わった。 以降もアメリカではWCCWを主戦場に、1980年代前半は弟のデビッドやケリーと組んでファビュラス・フリーバーズやダイナミック・デュオ(ジノ・ヘルナンデス&クリス・アダムス)などと抗争した。1985年からはWCCWと新たに提携を結んだ新日本プロレスにケリーと共に参戦。藤波辰巳&木村健吾の持つWWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。 WCCW(WCWA)ではブッカー業務も兼任し、1986年10月にはブラック・バートを破りWCWA世界ヘビー級王座を獲得。アル・マドリル、ジョン・ノード、キング・パーソンズらを抗争相手に防衛戦を行ったが、WWFの全米侵攻でテリトリー制が崩壊した1980年代末にセミリタイアし、1995年に引退。 引退後は母親や妻子とともにハワイのカウアイ島に居住し、プロレス業界からは完全に身を引いていたが、2009年4月4日にフォン・エリック・ファミリーとして父や兄弟たちと共にWWE殿堂入り。インダクター(プレゼンター)は、かつて抗争を繰り広げたフリーバーズのマイケル・ヘイズが務めた。 2011年12月8日、長男のロス・フォン・エリックと次男のマーシャル・フォン・エリックが、2012年1月にプロレスリング・ノアに入団することが発表された〔ロス・フォン・エリック&マーシャル・フォン・エリック 入団のご報告 プロレスリング・ノア オフィシャルサイト〕。2012年にはケビンも約24年ぶりに来日し、1月14日に息子たちとともに入団会見に登場〔エリック一家来日&公開入団記者会見の模様 プロレスリング・ノア オフィシャルサイト〕、1月15日にはGHC管理委員に就任することが発表された〔GHCタイトル管理委員会よりご報告 プロレスリング・ノア オフィシャルサイト〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケビン・フォン・エリック」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|