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ケンブリッジ・プラトン学派(Cambridge platonism)は、17世紀のイギリスのケンブリッジ大学において展開された思想の一グループ。別名ケンブリッジ・プラトニズム。また、人物に観点を置いてケンブリッジ・プラトニストといった表現もある。ベンジャミン・ウィチカットを中心人物とし、ヘンリー・モア、ラルフ・カドワース、ジョン・スミス、ナサニエル・カルヴァウェル、ピーター・ステリーらが学派のメンバーと見なされている。 哲学書の中でもプラトンやプロティノスの文献を重要視し、中世的な古い神学を批判、理性と信仰の調和、道徳と宗教の問題、信仰の自由の問題を主な題目としている。ジョン・ロックの出現や経験論哲学の興隆などにより17世紀までには、形の上では解消されるが、イギリスの思想・あるいはイギリス人の実践に影響を与えた。当学派は、啓蒙思想の時代のごく初期の重要な一派でもあり、グリーンやケアードらによるイギリスにおける新ヘーゲル主義の出現や20世紀の思想の巨人ホワイトヘッドの有機体の哲学の思想にも影響を与えたなど近現代のイギリス思想の展開を触れる際には、触れなくてはならないグループである。 == 学派の誕生 == 15世紀を中心に展開されたルネサンス、殊にマルシリオ・フィチーノを中心としたネオプラトニズム研究は、ヨーロッパ世界にプラトニズムの再移入に大きな貢献をもたらしたことは、周知のことであるが、この思想展開の目標はプラトニズムとキリスト教思想の思想上の調和であり、後の西洋哲学に多大な影響を与えた。この思想は、いわゆる人文学者らによって各地にもたらされ、ジョン・コレットなどにより、イギリスにももたらされた。特に1509年にエラスムスがイギリスのケンブリッジ大学においてギリシア語と哲学を講じたのは、ケンブリッジ・プラトン学派の結成に大きな影響をあたえた。エラスムスが当地を去った後、ケンブリッジはイギリスにおけるプラトニズム研究の牙城になり、これがイギリスのピューリタンの思想と相まって、育まれてきた。ライバル校であるオックスフォード大学のアリストテレス研究と共に、イギリスにおける古典哲学研究の一大系統になってきた。このピューリタニズム的なプラトニズムは、そのまま当時のケンブリッジ大学の基本精神になり、この精神の最高学府として1585年に創設されたのが、エマヌエル学寮であった。別名「ピューリタンの神学校」といわれたほど、ピューリータン思想が盛んであった。 この学寮に、1626年入学したのがこの学派の中心人物ベンジャミン・ウィチカットである。1633年には、特別研究員としての教職を手にした。この年をもってケンブリッジ・プラトン学派の誕生と見るのが定説である。ケンブリッジ・プラトン学派の盛衰は、概ねウィチカットと彼の直弟子たちが活躍した時期と重なる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケンブリッジ・プラトン学派」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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