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ケンブリッジ公 (Duke of Cambridge) は、イギリス王室の公爵位の一つ。英国王室の年少の王族に対して時々授与される。名称はケンブリッジに由来する。イングランド王ジェームズ2世が息子のチャールズに対して授与したのが最初である。2011年4月29日にエリザベス2世の嫡孫のウィリアム王子がキャサリン・ミドルトンと結婚したことにともない女王によって叙爵された。 == 歴史 == 1664年にイングランド貴族として「ケンブリッジ公」が公式に創設された。このときはヨーク公と最初の妻との間に生まれたジェームズ・ステュアートにこの称号を与えられたときである。ケンブリッジ公ジェームズは跡継ぎを残さず亡くなり、断絶した。この称号は再びエドガーに与えられたが、彼もまた夭折したため再びケンブリッジ公家は断絶した。 ヨーク公は2番目の妻が産んだ長子チャールズにケンブリッジ公を与えようとしたが生後約1か月で死亡し、あまりに短命だったために公式に創設できなかった。 1706年、ハノーファー選帝侯であったゲオルク・ルードウィッヒ(後の連合王国国王ジョージ1世)の息子であるジョージ・アウグスタスへケンブリッジ公領が与えられることとなり、公爵位が再び創設されることとなった。後にジョージ・アウグスタスがジョージ2世へと即位した際、公領は王国領へ併合された。 1801年には、連合王国の王族の爵位として、ジョージ3世の七男であるアドルファスにケンブリッジ公の爵位が与えられた。彼の息子のジョージの死後、法的な相続者が存在しなかった(ジョージには男児は存在したが王室結婚令に背いていた)ことから1904年に爵位は断絶することとなった。 1917年、アドルファスの外孫で、ジョージ5世の王妃メアリーの弟であるテック公アドルファスがケンブリッジ侯に叙爵されたが、第一次世界大戦中に連合王国の敵国であったドイツの爵位であるテック公を放棄した代わりに与えられたものであった。この爵位は、1981年にアドルファスの息子のジョージが男児を残さないまま亡くなったことから断絶した。 1999年、エリザベス2世の三男であるエドワードが結婚した際、有識者達はケンブリッジ公かサセックス公の爵位がふさわしいとしてエドワードに提案したが、エドワードは代わりにウェセックス伯の爵位を創設した。その後、英国の国内情報誌「ザ・サンデーテレグラフ」によって、本来はエドワードが結婚後にケンブリッジ公へ叙爵される筈だったことが報道された。但し、別の報道によれば1998年に公開された「恋におちたシェイクスピア」を視聴後、コリン・ファースによって演じられたウェセックス卿にエドワードが憧憬を抱き、ウェセックス伯の叙爵をエリザベス2世へ求めたとされている。また、エドワードの父フィリップが有するエディンバラ公位が、長兄チャールズが王位を継承する立場にあり、次兄アンドルーが王の次男としてヨーク公位を既に授かっていることから、将来的にエドワードに授けられる予定となっており、これも伯爵位が授けられた背景にある。 2011年4月29日、エリザベス2世の孫であるウィリアムとキャサリン・ミドルトンが結婚した日、ウィリアムはケンブリッジ公の爵位と共に、ストラサーン伯とキャリクファーガス男爵の爵位も創設した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケンブリッジ公」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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