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ケン・グリフィー・シニア : ミニ英和和英辞書
ケン・グリフィー・シニア[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ケン・グリフィー・シニア : ウィキペディア日本語版
ケン・グリフィー・シニア[ちょうおん]

ケン・グリフィー・シニア(''George Kenneth "Ken" Griffey Sr.'' 1950年4月10日 - )は、MLBで活躍した元野球選手外野手一塁手)。アメリカ合衆国ペンシルベニア州ドノラ出身。左投左打。息子はケン・グリフィー・ジュニア
== 来歴・人物 ==
1970年代には、シンシナティ・レッズビッグレッドマシンの一員として活躍。
息子はメジャー歴代6位となる630本塁打を記録し、2016年にアメリカ野球殿堂入りしたケン・グリフィー・ジュニアとクレイグ・グリフィー。ジュニアはシニアが19歳の時に誕生した子であり、それが後の「親子同時プレー」につながっていった。
1990年終盤、シアトル・マリナーズに移籍した際、チームには息子のジュニアも所属しており、1990年8月31日ロイヤルズ戦で、2番左翼手・シニア、3番中堅手・ジュニアとして、史上初めて親子揃ってスタメンに名を連ねた。試合ではまずシニアがセンター前にヒットを打ち、続くジュニアも同じくセンター前にヒット、4番打者が二塁打を打つと、2人は相次いでホームインした。同年9月14日エンゼルス戦では、初回にシニアが中堅越えの2点本塁打を放つと、続くジュニアも左翼席に本塁打を放ち、こちらも史上初の親子での2者連続本塁打を達成した。シーズン序盤は46試合で.206と不振でウェーバーにかけられるほどであったが、ジュニアと同じチームでプレーすることが発奮材料になったか、マリナーズ移籍後は21試合で.377と好成績を残した。
若いジュニアにとって、ビッグレッドマシンの一員であり、スター選手であったシニアの存在は大きなプレッシャーだったが、共にプレーしたことが大きな自信となり、後に父を超える大選手へと成長することとなる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ケン・グリフィー・シニア」の詳細全文を読む




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