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ケーニッヒグレーツの戦い : ミニ英和和英辞書
ケーニッヒグレーツの戦い[たたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

ケーニッヒグレーツの戦い ( リダイレクト:ケーニヒグレーツの戦い ) : ウィキペディア日本語版
ケーニヒグレーツの戦い[けーにひぐれーつのたたかい]

ケーニヒグレーツの戦い(ケーニヒグレーツのたたかい、)は、普墺戦争における会戦の1つ。1866年7月3日ボヘミア(ベーメン)中部のケーニヒグレーツ(現在はチェコの都市フラデツ・クラーロヴェー)との中間地点でプロイセン王国オーストリア帝国の軍の間で戦われた。分進合撃に成功したプロイセン軍はオーストリア軍を包囲し、決定的な打撃を与え、戦争終結を決定づけた。サドワの戦いとも呼ばれる。
== 開戦まで ==
前役にあたる1864年の第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(デンマーク戦争)では、プロイセン・オーストリア連合軍は戦略の拙さからデンマーク軍が島の要塞へ撤退することを許した。この一時は膠着した戦局を途中から打開したことでプロイセン軍ではモルトケと参謀本部の力量が認められることとなり、陸軍大臣から各軍団へ国王の名の下に出されていた作戦命令は、以後各軍への作戦は参謀本部より指令される体制が整った。
当時はドイツの統一が進行中であり、この戦争の後に小ドイツ主義によりプロイセン王国を盟主とするドイツ関税同盟の陣営と、大ドイツ主義によりオーストリア帝国を盟主とするドイツ連邦の路線対立が先鋭化し、戦争の気配が濃厚となった。
強大でありながら旧態依然としていたオーストリア帝国と異なり、プロイセンでは国王ヴィルヘルム1世のもとで鉄血演説を行った宰相ビスマルク、陸軍大臣ローン、参謀総長モルトケは戦争準備を進めた。外交的にはイタリアを同盟軍に引き込むことに成功し、オーストリアは戦力を南北に割かれることとなった。技術的にもプロイセンではクルップにより鉄道や大砲の開発が進み、速射力に優れる後装のボルトアクションライフルドライゼ銃が採用・普及で一歩先を行っており、戦力や輸送力が充実していた。
戦略構想でもモルトケは、主敵をオーストリア側のドイツ諸邦でなくオーストリア本国に置いた。オーストリアが同盟国のザクセン王国からプロイセン首都のベルリンを攻撃するであろう事を予見し、これをザクセンからシュレージェンにわたる約300kmの各方面から包囲的に進発してボヘミア地方で邀撃する構想を基本に、当初はプロイセンおよび同盟軍の7分の6を投入して分進合撃を行い、隣国の介入を避けるための短期決戦を予定した。軍事連携のための電信についても整備を行った。ボヘミア方面にはプロイセン側から5本の鉄道が整備されていたのに対し、オーストリア側からは1本があるのみだった。投入戦力について、ビスマルクの政治的な考慮からライン川方面へも割かれ、結局次の通り(兵力は会戦へ投入された員数)三個軍を投入することとなり、プロイセン参謀本部より派遣された参謀長が身分の高い各司令官に助言を行い、全体的な戦略を指導するシステムを構築した〔ゲルリッツ 2000 〕。
* 第一軍 - 司令官フリードリヒ・カール親王(参謀長フォークツ=レーツ中将)93,000人
* 第二軍 - 司令官フリードリヒ3世王太子(参謀長レオンハルト・フォン・ブルーメンタール少将)115,000人
* エルベ軍 - 司令官ビッテンフェルト大将(参謀長シュトロハイム大佐)46.000人
:(その他、ドイツ諸邦)
戦争動員数32万人のプロイセンに対して、一方のフランツ・ヨーゼフ1世治下のオーストリア帝国ではオーストリア軍24万人および同盟ドイツ諸邦軍16万人の計40万人を動員しており、オーストリア優位の下馬評が強かった。会戦に投入されたのは次の通りの兵力であった。
* オーストリア軍 - 司令官ベネディク元帥・造兵総監(参謀長ヘニックシュタイン中将) 215,000人
* ザクセン王国軍 - 司令官アルベルト王子 25,000人

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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