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ゲーリー・カーター(Gary Edmund Carter, 1954年4月8日 - 2012年2月16日)は、アメリカ合衆国の野球選手(捕手)。右投右打。カリフォルニア州出身。メジャーリーグで活躍し、野球殿堂入りした名捕手。ニックネームは「Kid」(キッド)。 == 来歴・人物 == カリフォルニア州カルバーシティ(Culver City)出身。サニーヒルズ高校時代には野球の他にアメリカンフットボール、バスケットボールでも活躍。9月16日に弱冠20歳でモントリオール・エクスポズでメジャーデビューを果たした。 翌には早くもレギュラーに定着して144試合に出場し、打率.270、17本塁打、68打点と活躍し、新人ながらオールスター出場を果たした。 ナショナルリーグ新人王は15勝をあげたジョン・モンテフュスコ(John Montefusco、ジャイアンツ)に譲ったが、「スポーティング・ニューズ」誌が選ぶ新人王には選出された。 負担の大きい捕手というポジションでありながら主力打者として活躍し、捕手として出場しない時には一塁、三塁、外野として先発出場することもあった。また、捕手としてもベンチからも投手陣からも信頼が厚く、まさにチームを引っ張る選手となった。その後も活躍を続け、には、オールスターゲーム史上5人目の1試合2本塁打を放ち、MVPに選出された。 、2度目のオールスターMVPを獲得。106打点で打点王のタイトルを獲得し、オフにヒュービー・ブルックス(英語版)ら5選手との交換でニューヨーク・メッツに移籍する。 メッツでもリーダーシップを発揮し、ダリル・ストロベリーらを押しのけて四番に座り、移籍初年度のには32本塁打・100打点。にも24本塁打・100打点を記録し、この年のワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。特に、2勝3敗で迎えて後のないワールドシリーズ第6戦(対ボストン・レッドソックス、シェイスタジアム)では、延長10回表にリードを許し、10回裏2アウトと追い込まれたが、カーターのヒットで口火を切って、最後は相手一塁手ビル・バックナーのサヨナラエラーで逆転に成功した(詳細は同項)。 このシリーズでもフェンウェイ・パークで1試合2本塁打を放ち、オールスターとワールドシリーズの両方で1試合2本塁打を記録した(現時点で)唯一の選手となっている。 しかし、この年をピークに以後成績は下降。限りでメッツから自由契約となるが、この年のオフに彼の慈善活動が認められ、ロベルト・クレメンテ賞を受賞した。はサンフランシスコ・ジャイアンツ、はロサンゼルス・ドジャース、には古巣のエクスポズとチームを転々とし、この年限りで現役引退した。 野球殿堂入り有資格6年目のの投票で選出され、12シーズンを過ごしたエクスポズの捕手として栄誉の殿堂入りを果たした。他にも、にはメッツの殿堂とカナダ野球殿堂に入っている。また、引退した翌には自身の背番号「8」がエクスポズの永久欠番に指定された。球団がワシントンD.C.に移転してナショナルズとなった直後に一度は失効したが、からは再び永久欠番となった。引退後はメッツの巡回コーチとして活動し、その後からまでメッツ傘下のガルフコースト・メッツ(ルーキー級)、セントルーシー・メッツ(A級)の監督を歴任し、からまで独立リーグのオレンジカントリー・フライヤーズ、ロングアイランド・ダックスの監督を歴任、からはパームビーチアトランティック大学のヘッドコーチを務めた。 2月16日、5月に患った脳腫瘍のため死去〔Gary Carter dies at age 57 ESPN 2012-2-16〕。。2月19日にはエクスポズと同じモントリオールに本拠地を置くNHLのカナディアンズが追悼セレモニーを行い、ナショナルズも開幕後の4月12日にセレモニーを行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゲーリー・カーター」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gary Carter 」があります。 スポンサード リンク
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