翻訳と辞書
Words near each other
・ ゲオフロンティア
・ ゲオホールディングス
・ ゲオポリティク
・ ゲオポリティーク
・ ゲオマンシー
・ ゲオメネセス
・ ゲオモトソニック
・ ゲオリークル
・ ゲオルギ
・ ゲオルギ1世テルテル
ゲオルギ2世テルテル
・ ゲオルギアン
・ ゲオルギィ
・ ゲオルギィ・イワノヴィッチ・グルジェフ
・ ゲオルギィ・グルジェフ
・ ゲオルギイ
・ ゲオルギイ・グルジエフ
・ ゲオルギイ・フロロフスキイ
・ ゲオルギイ・フロロフスキー
・ ゲオルギイ・ベリエフ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ゲオルギ2世テルテル : ミニ英和和英辞書
ゲオルギ2世テルテル[げおるぎ2せいてるてる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ゲオルギ2世テルテル : ウィキペディア日本語版
ゲオルギ2世テルテル[げおるぎ2せいてるてる]
ゲオルギ2世テルテル(、? - 1322年)は、第二次ブルガリア帝国皇帝ツァール、在位1321年 - 1322年)。
== 生涯 ==
ブルガリア皇帝と妃エウフロシネ(エフロシニヤ、Euphrosyne)の子として生まれ、父方の祖父であるゲオルギ1世テルテルにちなんで名前が付けられた。
1321年に父テオドルが没した後、ゲオルギ2世はビザンツ帝国(東ローマ帝国)の皇帝アンドロニコス2世パレオロゴスとその孫アンドロニコス3世パレオロゴスの内争に積極的に介入する。ゲオルギ2世は好機に乗じてトラキア地方のビザンツ領に侵入し、1322年にフィリッポポリス(現在のプロヴディフ)と周辺の城砦を占領した〔I.ディミトロフ、M.イスーソフ、I.ショポフ『ブルガリア 1』(寺島憲治訳, 世界の教科書=歴史, ほるぷ出版, 1985年8月)、104頁〕。将軍Ivan the Russianに占領した城砦の守備を命じ、ゲオルギ2世は公文書で「ブルガリアとギリシャの王」と讃えられた。ブルガリア軍はアドリアノープル(現在のエディルネ)まで到達したが、アンドロニコス3世の軍に敗れて退却した。同年にゲオルギ2世は行軍中に急死し、皇帝を失ったブルガリアは危機に直面する〔〔森安達也、今井淳子共訳編『ブルガリア 風土と歴史』(恒文社, 1981年)、131頁〕。
若年で没したゲオルギ2世に子はおらず、遠縁の親戚であるミハイル・シシュマンが帝位に就いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ゲオルギ2世テルテル」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.