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ゲオルギー・ダネリヤ : ミニ英和和英辞書
ゲオルギー・ダネリヤ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ゲオルギー・ダネリヤ : ウィキペディア日本語版
ゲオルギー・ダネリヤ[ちょうおん]

ゲオルギー・ダネリヤ(Георгий Данелия、1930年8月25日 トビリシ - )は、ロシア映画監督。ロシア国籍グルジア人
1955年、モスクワ建築大学卒業。その後「モスフィルム」の上級監督コースを修了。1959年からモスフィルムで監督として働きはじめる。
最初の長編映画作品はヴェーラ・パノワ()の中篇小説を題材とした「セリョージャ」(1960年、イーゴリ・タランキンと共同監督)であった。この作品は、カルロヴィ・ヴァリ映画祭をはじめとするいくつかの国際映画祭を獲得した。
「僕はモスクワを歩く」(1963年)滑稽さと悲しみ皮肉リアリズム、そして複雑な性格とドキュメンタリー調に映された街の風景を結合させる自身のスタイルを確立。日本でも上映された〔1964年10月 第2回ソビエト映画祭(10月28日 東京・有楽町読売ホール、10月30日 新潟・松竹大竹劇場)で上映:ロシア映画社アーカイブスより。 〕。このほかの日本公開作に「不思議惑星キン・ザ・ザ(1986年)がある(日本公開は1991年)
またソ連国内で最も観客動員数が多かったのは「アフォーニャ」(1975年)である。タシケント国際映画祭で大賞を受賞している。
その他の作品としては、モスクワ国際映画祭で金賞を獲得した「ミミノ」(1977年)や、サン・セバスティアン国際映画祭で大賞を獲得した「秋のマラソン」(1979年)などがあげられる。

== 監督作品 ==
(観客動員数などの基本データは、Энциклопедия отечественного кино および西周成『映画 崩壊か再生か』(アルトアーツ、2011年9月)24ページ、同『タルコフスキーとその時代』(アルトアーツ、2011年4月)83~86ページ。〕 ">セルゲイ・クドリャフツェフ〔クドリャフツェフ編の観客動員数の統計資料については、次の文献を参照のこと。西周成『映画 崩壊か再生か』(アルトアーツ、2011年9月)24ページ、同『タルコフスキーとその時代』(アルトアーツ、2011年4月)83~86ページ。〕 による)

* 1960年 (邦訳:セリョージャ、タランキンと共同監督)、80分(白黒)、観客動員2320万人、『ソビエト・スクリーン』誌の読者投票で「1960年の優秀映画」に選出。
* 1962年 (邦訳:埠頭への道)、89分(白黒)、観客動員1640万人。

* 1963年 (邦題:モスクワを歩く 〔アテネ・フランセ文化センターでの上映時の邦題。直訳は「僕はモスクワを歩く」。〕)、78分(白黒)、観客動員2000万人。

* 1965年 (邦訳:33)、77分(白黒)、検閲により事実上の公開禁止〔監督の自伝 Безбилетный пассажир. М.,: Эксмо, 2011. による。〕。

* 1969年 (邦題:嘆くな! 、94分、観客動員2020万人。

* 1973年 (邦訳:行方不明)、98分、マーク・トウェインの「ハックルベリー・フィンの冒険」にもとづく児童映画。

* 1975年 (邦訳:アフォーニャ)、92分、観客動員6220万人(1975年の第1位)

* 1977年 (邦訳:ミミノ)、97分、観客動員2440万人(1978年の第17位)

* 1979年 (邦題:秋のマラソン 、94分、観客動員2230万人。

* 1982年 (邦題:泣けてくる)、89分。

* 1986年 (邦題:不思議惑星キン・ザ・ザ、135分、観客動員1570万人(1987年の第14位)

* 1990年 (邦訳:パスポート)、98分。

* 1993年 (邦訳:ナスチャ)、89分。

* 1995年 (邦訳:表か裏か)、86分。

* 2000年 (邦訳:フォルトゥナ号)、87分。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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