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フリードリヒ・ゲルンスハイム(Friedrich Gernsheim, 1839年7月17日 ヴォルムス - 1916年9月10日 ベルリン)はドイツの作曲家・ピアニスト・指揮者。〔日本では、ドイツ語読みとローマ字読みを誤って混用した 「ゲルンシャイム」 という表記が定着しそうになったことがある。「ゲルンスハイム」 が正しい。〕 一時期は忘れ去られていたが、近年、作品の録音が進むとともに蘇演が行われ、復活の機運が著しい。 フランス支配を機に解放された、同化ユダヤ人の家庭に生まれる。父親は医師。7歳で地元の音楽監督ルイ・リーベ(ルイ・シュポーアの門人)に音楽を師事。1848年革命を避けて一家はまずマインツに、その後ライプツィヒに転居。1852年よりライプツィヒでゲルンスハイムは、ピアノをイグナツ・モシェレスに師事。1855年から1860年までパリに留学して、ジョアキーノ・ロッシーニやエドゥアール・ラロ、カミーユ・サン=サーンスらと親交を結ぶ。 1861年、指揮者ヘルマン・レーヴィのあと空席になっていたザールブリュッケンの音楽監督に就任。1865年にはケルン音楽院に招聘され、間もなく同地の音楽協会・国立合唱協会・歌手団の音楽監督に指名された。国立歌劇場管弦楽団の指揮者の地位も1873年には彼に託された。1874年、オランダ・ロッテルダムに赴き、フィルハーモニー協会の音楽監督を1890年まで勤めた。1890年からはベルリンのシュテルン音楽院で教鞭をとり、音楽院付属の合唱協会の指揮者となった。1897年、王立ベルリン芸術アカデミーの会員となり、1901年には作曲家アカデミー高等学院の院長に任命される。〔Biography による〕 == 主要作品一覧 == 交響曲、ピアノ五重奏曲、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリン・ソナタは全曲録音がされている。ピアノ四重奏曲の第1番、第3番や、チェロ・ソナタ第1番、弦楽四重奏曲第2番も録音がある。弦楽五重奏曲第2番とピアノ四重奏曲第2番、弦楽三重奏曲 作品74は2003年に蘇演され、チェロ協奏曲は2005年に、アリ・ラシライネン指揮ラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団とチェロ奏者アレクサンダー・ヒュルスホフによって復活上演が行われた。 *交響曲 *第1番 ト短調 作品32(1875年) 【演奏例 】 *第2番 変ホ長調 作品46(1882年)【演奏例 】 *第3番 ハ短調《ミリアム》作品54(1887年) *第4番 変ロ長調 作品62 (1895年) * 協奏曲 *ピアノ協奏曲 ハ短調 作品16 【演奏例 】 *ヴァイオリン協奏曲 *第1番 ニ長調 作品42 *第2番 ヘ長調 作品86 *ヴァイオリンと管弦楽のための《幻想的小曲》作品33 *チェロ協奏曲 ホ短調 作品78 *管弦楽曲 *あるドラマのために ''Zu einem Drama'' 作品82 【演奏例 】 *ディヴェルティメント 作品53 *室内楽曲 *ピアノ五重奏曲 *第1番 ニ短調 作品35 *第2番 ロ短調 作品63(1897年ごろ出版) *弦楽五重奏曲 *第1番 ニ長調 作品9 *第2番 変ホ長調 作品89 *ピアノ四重奏曲 *第1番 変ホ長調 作品6 【演奏例 】 *第2番 ハ短調 作品20(1870年ごろ出版) *第3番 ヘ長調 作品47(1883年)【演奏例 】 *弦楽四重奏曲 *第1番 ハ短調 作品25 *第2番 イ短調 作品31(1875年) *第3番 ヘ長調 作品51(1886年) *第4番 ホ短調 作品66 *第5番 イ長調 作品83(初版は1911年ごろ) *ピアノ三重奏曲 *第1番 ヘ長調 作品28 *第2番 変ロ長調 作品37 *ヴァイオリン・ソナタ *第1番 ハ短調 作品4(1864年ごろ出版) *第2番 ハ長調 作品50(1885年ごろ出版) *第3番 ヘ長調 作品64(1898年ごろ出版) *第4番 ト長調 作品85 *チェロ・ソナタ *第1番 ニ短調 作品12 *第2番 ホ短調 作品87 *ピアノ・ソナタ ヘ長調 作品1 *合唱と管弦楽のための作品 *Nibelungen wiederfahrt 作品73 *Nornen wiegenlied 作品65 *アグリッピナ 作品77 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フリードリヒ・ゲルンスハイム」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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