|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ゲーリー・アール・ジョンソン(Gary Earl Johnson,1953年1月1日 - )はアメリカ合衆国の政治家および実業家。元ニューメキシコ州知事。所属政党は共和党だったが2011年から少数政党のリバタリアン党。2012年大統領選挙における同党指名候補〔Libertarian Party Nominates Gary Johnson for President リバタリアン党公式サイト 2012年5月5日〕。 == 略歴 == ノースダコタ州マイノットでデンマーク、ノルウェー、ロシアの家系を持つ、教師だった父アール・ジョンソンと母ロレーヌ・B・ジョンソンとの間で生まれた。1971年にニューメキシコ州アルバカーキのを卒業し、1975年にを卒業。大学在籍中に訪問便利屋のアルバイトで稼ぎ、卒業後の1976年に建設会社ビッグ・J・エンタープライズを設立し、後にニューメキシコ州最大の建設会社として育て上げ成功を収める。 1994年にジョンソンは共和党の有力者の支持の下でニューメキシコ州知事選挙への出馬の意向を示した。共和党の指名争いでは、ビジネスで成功した事を宣伝し、減税と雇用創出、財政支出抑制を強調し法と秩序を主張した。指名を勝ち取ったジョンソンは、民主党の現職知事に勝利し、知事として政界に入る。就任後半年の間に、424件の両院通過法案のうち200件に対して拒否権を行使し、拒否権行使率の全米記録を作る。推進した政策は、支出削減および減税、教育バウチャーの導入など。1998年に再選した後、マリファナ解禁を主張するが実現はせず。2003年まで知事を勤めた。 2008年大統領選挙共和党予備選では、ロン・ポールを支持している。 2009年の時点で2012年大統領選挙への自身の出馬に興味を示し、政治運動 Our America Initiative を立ち上げる。そして2011年4月21日に大統領選挙への出馬を宣言し、共和党の指名争いに参加した。しかし、彼のリバタリアン寄りな立場は、共和党の有力支持グループである保守層から忌避され、支持率の低迷などによりテレビ討論会に呼ばれないこともあった。ロン・ポールとのリバタリアン寄り候補の一本化を模索するも失敗する。そのため共和党からの指名を得るのが難しいと判断し、12月28日にリバタリアン党からの指名を求めることを宣言する。翌2012年5月5日の党大会にて初回投票で70%の代議員票を集め、指名を獲得する〔。ジョンソンは選挙の目標として、二大政党と同等の取り扱いを受けることのできる基準とされる、一般投票での得票率5%を狙うが、結果は1%弱の得票率に終わった。しかし同党候補として初めて百万票以上を獲得している。得票率は同党歴代2位。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゲーリー・E・ジョンソン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|