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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ゲーリー・グローバー(John Gary Glover, 1976年12月3日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州出身のプロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == デランド高からトロント・ブルージェイズに入団。シカゴ・ホワイトソックス、アナハイム・エンゼルス、ミルウォーキー・ブルワーズでメジャー通算21勝を記録した。 2006年、読売ジャイアンツに入団。先発投手として期待され、前半戦は不本意な成績に低迷しファーム落ちも味わったものの、後半戦では2メートルの長身と多彩な変化球を武器に安定した投球を見せ、先発ローテーションの一角に食い込んだ。しかし、決め球に欠き中継ぎで適性を見せられなかったこともあり、チーム事情からオフに自由契約。後半戦での人の変わった様な好投から、この自由契約に驚くファンも多かった。 2006年は、開幕から1ヶ月が経過したあたりまでは、先発6人制で中6日登板だったため、毎週日曜日に登板して、不安定な投球ながら打線(主に小久保裕紀が良く打っていた)の援護に恵まれ勝ち星を挙げていたことから「サンデーグローバー」とも呼ばれていた。しかしローテが崩れ、登板する曜日がずれた途端に打線の援護がなくなり、その後は黒星を積み重ねるようになってしまった。 2006年12月21日、ジェイソン・グラボースキー(元オリックス)と共にタンパベイ・デビルレイズとマイナー契約を結んだ。その後メジャーに昇格し、主に中継ぎで登板した。 その後デトロイト・タイガースなどを経て、2009年はマーリンズなどのAAA級マイナーリーグでプレーしていたが、クリストファー・ニコースキーの代役として6月に韓国プロ野球・SKワイバーンズと契約した。背番号は「59」。SKでは先発として起用されシーズン後半だけで9勝をあげ、特に終盤戦で7連勝と絶好調だった。 2010年もSKでプレーし、故障もあり6勝どまりだったものの、2011年もSKと再契約した。2011年は7勝だったものの、故障で韓国シリーズなどポストシーズンで登板できなかったこともあり、この年限りで退団となった。 2012年1月、マイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだが、開幕ロースター入りできずマーリンズ傘下のAAA級マイナーリーグでプレーした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゲーリー・グローバー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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