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コウタ・シャイニング ( リダイレクト:中山功太 ) : ウィキペディア日本語版
中山功太[なかやま こうた]

中山 功太(なかやま こうた、1980年6月24日 - )は、日本お笑い芸人よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社所属。大阪NSC22期生。R-1ぐらんぷり2009優勝者。歌ネタ王決定戦2015優勝者。
== 来歴 ==
大阪府立阿倍野高等学校卒業。「7」「赤い太陽」(ヤナギブソンの元相方の薮田真宏とのコンビ)とコンビとしての活動を経て、2002年2月に単独デビュー。
幼少期に当時実家がお金持ちだったため身代金目的で誘拐され、それ以来過保護に育てられ外に出ないようにと実家に軟禁状態にされた結果テレビっ子になり、一人で『吉本新喜劇』を見ていた。小学2年生の時に初めて『吉本新喜劇』を見たことが芸人を志すきっかけとなる〔。高校卒業後、1年間浪人して大学に行くと嘘をつき、親にNSCの入学金を払ってもらったが、夏頃に父親に気付かれ激怒された。
NSC時代に佐藤康資という高校の同級生と「7」というコンビを結成するも、相棒にセリフを一言一句、覚えさせるなど抑えつけた結果、解散。次にパートナーになった薮田は先輩だったため、前回の反省を生かして今度は任せてみようと思ったが、自分のネタではないことに違和感を持ち、2ヶ月で解散。自分はコンビには向いていないと気づき、個人単独での活動を始める。ただ、今でもコンビへの憧れはあると言う。
大阪NSC22期生の同期にはキングコング山里亮太南海キャンディーズ)、ダイアンネゴシックスなかやまきんに君、久保田和靖(とろサーモン)、林健(ギャロップ)、ミサイルマンスーパーマラドーナ、村本大輔(ウーマンラッシュアワー)などがいる。NSC生では無いが、NON STYLEとも同期である。
2004年に、ネゴシックスと即興コンビ「たばこ」を結成。担当はボケ。『M-1グランプリ2004』に出場し、3回戦敗退。
実家はかつてソファーベッド製造会社を経営しており、家は27LDKKK+トイレ4つ+お風呂2つで自分用のメディアルーム、サウナを持っており、車はベンツ等4台所有という並大抵ではない大金持ちだったため、セレブ芸人として「世界バリバリ★バリュー「、「くるくるドカン~新しい波を探して~」、「アメトーーク!〔2007年2月1日『アメトーーク! ビンボー芸人VSお金持ち芸人』〕」、「踊る!さんま御殿!!」等に出演したことがあり、“お笑い芸人は趣味でやっている”と冗談で言われていたほどだったが、2006年5月13日、実家の会社が倒産したとライブにて発言。翌週15日ラジオでも言及した。ヨシモトファンダンゴTVで実家の部屋に芸人を呼ぶ『中山功太の実家の部屋』という番組を持っていたが、実家が無くなってしまったため、2006年7月より『中山功太の番組』にタイトルが変わった。
2008年4月6日の「ガンガンライブFINAL」を最後にbaseよしもとを卒業。
「シュールなネタと二重アゴが似合わない」と先輩に言われたことから、R-1ぐらんぷり2009に向けて2008年から断酒をし、ボクシングエクササイズやレコーディング・ダイエットで13kgの減量に成功。また、座禅ホットヨガにも取り組み決勝に臨んだ。
2009年の『R-1ぐらんぷり2009』では、「時報」のネタで683点をマークし優勝した。また点数が出た時、それまでトップだったエハラマサヒロの得点を勘違いしていたため負けたと思い、優勝決定の瞬間負けたリアクションをしていた。その後、蛍原徹雨上がり決死隊)に名前を呼ばれた時に優勝したのは自分だと気付いた。興奮のあまり、審査員の桂三枝(現・六代目桂文枝)にトロフィーをもらうと歓喜の抱擁。本番前のリハーサルではラストの暗転のタイミングを1秒遅らせるよう指示。後悔しないため細部にまでこだわった。〔
R-1ぐらんぷり優勝後は東京のテレビ出演が増加するかに思えたが、当時、大阪の生放送の帯番組のレギュラーや舞台の稽古が入っており、TV局からのオファーをほぼ断らざるを得なかったため、東京進出は見送られた。2010年3月4日の生放送を最後に帯番組から卒業し、同年3月30日の単独ライブをもって大阪を離れ東京に活動拠点を移す。2012年のR-1ぐらんぷり記者会見にて東京進出に失敗し週5日でアルバイトしていることを明かす。
2012年の4月頃から「中山功太の愛で世界を埋め尽くせ」という自宅で収録したネットラジオを定期的にYouTubeで流している。内容はトークやツイッターで募集したネタを読んだりする。エンディングは独奏で締めくくる。
2012年9月、新宿ネイキッドロフトにて開催された中山功太トークライブ「オールナイト ネイキッド ブルースvol.14」内にて「負ければ芸人引退」という条件のもと麒麟川島と大喜利対決をし、客の投票の結果27票対23票で敗北。本人のツイッターにて約束通り芸人を引退すると宣言したが、その後会社と話し合った結果、芸人ではなくタレントとして再スタートをすることが決定し、「輝照亭小唄」としてアマチュア落語、「THE SHINING BABIES」のボーカル・シャイニングとして趣味のアマチュアロックバンドの活動も行い、芝居にも積極的に挑戦していくとした。
2013年1月1日付けで、活動名を本名から「コウタ・シャイニング」に変更(同日では同じ事務所の山崎邦正は月亭方正に変更)〔2010年代に入り、大阪府出身の著名人が活動名を変更したのは、アイドルグループ・NEWS加藤シゲアキ以来1年2か月ぶり。〕。しかし同年7月11日に放送された「アウト×デラックス」にて、矢部浩之マツコ・デラックスに諭され、次回以降の出演権と引き換えに、元の中山功太名義に戻すことを宣言し、再び芸人として活動していくこととなった。
歌ネタ王決定戦2015』ではCOWCOWと476点の同点優勝となり、COWCOWと共に三代目歌ネタ王になった。
決勝では演歌歌手のような扮装で、どんなスターもきっとこんな苦労をしているはずという架空の苦労話をメロディに乗せて、1本目は「レディー・ガガ」2本目は「レオナルド・ディカプリオ」を披露した。2011年頃から「GarageBand」というアプリにはまって曲をつくったり、歌ネタを考えたりするようになり、歌ネタ王決定戦2015で披露したネタは大泉逸郎の「」からヒントを得て作った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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