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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ココロージー(CocoRosie)は、ココ(Coco)ことビアンカ・レイラニ・キャサディ(Bianca Leilani Casady)とロージー(Rosie)ことシエラ・ローズ・キャサディ(Sierra Rose Casady)から成る、アメリカ合衆国のニューフォーク・デュオ。 ビアンカがヴォーカルと様々な子供用の玩具/電子楽器、パーカッションを演奏し、シエラはギター、ピアノ、ハープを演奏し、ヴォーカルでもサポートする。2人だけの演奏の他に、時にはベース、ドラム/携帯用ラジカセのバック・ミュージシャンが加わることもある。2004年から2006年にかけて、アメリカ国内で積極的に活動し、TV・オン・ザ・レディオ(TV on the Radio)、ブライト・アイズ、デヴェンドラ・バンハートなどとのヨーロッパ・ツアーも行った。 2006年後半には、Touch and Go Records25周年パーティに、ビッグ・ブラック(Big Black)、スクラッチ・アシッド(Scratch Acid)、キルドーザー(Killdozer)、The Ex、ウゼダ(Uzeda)らとともに出演した。 ==歴史== ===初期=== シエラとビアンカのキャサディ姉妹はネイティヴ・アメリカンの血を引いている。姉のシエラはアイオワ州で、2歳下の妹ビアンカはハワイ州で生まれた。母親につけられた愛称の「ロージー」と「ココ」が後にバンド名となる。 教師で芸術家だった母親は姉妹を連れて全米を州から州へ移動した。父親は別居していて、やはりシュタイナー教育を教えるためにアメリカ国内を旅し、シャーマニズムとネイティブ・アメリカン教会(Native American Church。ペヨーテ教会とも)に熱をあげていた。シエラとビアンカは夏の間は、父親と一緒にリザベーション(居留地)からリザベーションへの徒歩旅行に費やした。 シエラ5歳、ビアンカ3歳の時、両親が離婚した。 シエラは14歳の時、母親の家から追い出され、父親によって全寮制学校に入れられた。この時期、シエラは妹と会うことができなかった。シエナはほとんど毎年のように学校を変わった。 2000年、20歳のシエラはパリのモンマルトルの小さなアパルトメントに移り住んだ。オペラ歌手になるためで、パリ国立高等音楽・舞踊学校に通っていた。 その間、ビアンカは言語学と社会学の勉強をし、ヴィジュアル・アートか執筆の仕事を目指していた。ビアンカはさまざまなラッパを収集し、ブルックリン区ウィリアムズバーグ(Williamsburg)でアイロニックな白人主催の「Kill Whitey」パーティに参加したことが知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ココロージー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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