翻訳と辞書
Words near each other
・ ココロ晴れマーク
・ ココロ磁石
・ ココロ空モヨウ
・ ココロ花
・ ココロ見
・ ココロ転がせっ!
・ ココロ部!
・ ココロ銀河
・ ココン
・ ココン州
ココ・B・ウェア
・ ココ・アヴァン・シャネル
・ ココ・ウェア
・ ココ・オースティン
・ ココ・クリスプ
・ ココ・シャネル
・ ココ・シャネル (1981年の映画)
・ ココ・シャネル (2008年の映画)
・ ココ・スマイル
・ ココ・ソロ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ココ・B・ウェア : ミニ英和和英辞書
ココ・B・ウェア[ここびーうぇあ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ココ・B・ウェア : ウィキペディア日本語版
ココ・B・ウェア[ここびーうぇあ]

ココ・B・ウェア"Birdman" Koko B. Ware)のリングネームで知られるジェームズ・ウェアJames Ware1957年6月20日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテネシー州ユニオンシティ出身のアフリカ系アメリカ人
全盛時は地元のテネシー地区やWWFを主戦場に活躍。身長173cmという小兵ながら、跳躍力を活かした空中殺法と陽気なキャラクターで子供ファンの支持を集めた。
== 来歴 ==
1978年ジェリー・ジャレット(後のTNA創設者)とジェリー・ローラーが主宰するテネシー州メンフィスCWAでデビュー。翌年にはアメリカの専門誌『プロレスリング・イラストレーテッド』のルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出されている。以降も1980年代半ばまでCWAを主戦場に、ベビーフェイスヒールの両方のポジションで活動。ミッドアメリカ・ヘビー級王座を通算6回獲得し、ソニー・キングボビー・イートントミー・リッチオースチン・アイドルジミー・バリアントビル・ダンディーらと激闘を繰り広げた。覆面を被り、黒人マスクマンのスタッガー・リー(''Stagger Lee'')またはスウィート・ブラウン・シュガー(''Sweet Brown Sugar'')に変身したこともある。タッグではノーベル・オースチンとの黒人コンビ、プリティ・ヤング・シングス(''Pretty Young Things''、別名PYTエクスプレス)で活躍、NWA圏のダラスフロリダにも遠征し、1985年2月にはジェイマークのヤングブラッド兄弟からフロリダ地区のUSタッグ王座を奪取した。
1986年WWFと契約。バードマン(''Birdman'')のニックネームを与えられ、オウムフランキー(''Frankie'')を帯同して入場するショーマン派のベビーフェイスとして売り出される。1987年からはブッチ・リードとの黒人同士の抗争を展開し、3月29日のレッスルマニアIIIで決着戦が行われるも敗退。以降もヒール勢相手のジョバーなど、主にミッドカード専門の前座要員となり、タイトルには縁がなかったものの1994年まで8年間にわたってWWFに在籍した。
その間、1991年1月に当時WWFの日本での提携先だったSWSに来日。1992年からは、同じく空中戦を得意としていた "ザ・ロケット" オーエン・ハートハイ・エナジー(''High Energy'')を結成しタッグ戦線に進出、マネー・インク(テッド・デビアス&IRS)やヘッドシュリンカーズ(サムー&ファトゥ)と抗争した。また、同時期にWWFとの提携を開始したメンフィスのUSWA(CWAの後継団体)にも参戦。ジェリー・ローラーやカマラとタイトルを争った。
WWF退団後はインディー団体を転戦し、1995年6月にはニューイングランド地区のIWCCWでグレッグ・バレンタインを破り同団体認定のヘビー級王座を獲得。その後はセミリタイアしていたが、2000年代よりプロレスリング・ビジネスへのスポット参戦を再開。メンフィス周辺のインディー団体にレジェンドとして登場し、時折試合も行っている。2005年10月には久々にWWEのリングに上がり、『Heat』の枠内にてロブ・コンウェイと対戦した。2008年6月にはジェイク・ロバーツらWWF時代の仲間と共にTNAにも登場。2009年4月、WWE殿堂入りを果たしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ココ・B・ウェア」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.