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コジマ・KE007 (Kojima KE007) は、コジマエンジニアリングが設計・製造したフォーミュラ1カー。1976年に富士スピードウェイで開催されたF1世界選手権イン・ジャパンに参戦した。 == 概要 == === コンセプト === 日本国内でFL500やFJ1300、F2000などのコンストラクターとして活動していたコジマが、日本初開催のF1レースにスポット参戦するため開発した国産F1マシン。名称は「コジマエンジニアリング (Kojima Engineering) が開発した7作目のマシン」からKE007と命名された〔高安「コジマKE007ディティール・ファイル」、p118。〕。 設計担当は日本初のプライベーターF1マシン、マキ・F101をデザインした小野昌朗(東京R&D代表)。製作担当(チーフメカニック)は初の国産F2000マシン、ノバ・02を設計した解良喜久雄(トミーカイラ元代表)。空力設計はGCマシンなどのボディカウルをデザインしていた由良拓也(ムーンクラフト代表)。3名のほかチームオーナーの小嶋松久やドライバーの長谷見昌弘の意見も交えてコンセプトをまとめた。ベースとなったのは、小野がマキで学んだ教訓や、次回作用に温めていたアイデアだった〔『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p74。〕。 コジマはF1初挑戦となるこのレースで優勝かそれに順ずる成績を収め、それをステップに海外進出を目指すという構想を持っていた〔黒沼「純日本コンストラクター コジマ、孤高の挑戦。」、p56。〕。そのためオールラウンドなマシンではなく、高速コースに特化したトップスピード重視の「富士スペシャル」を造ることにした(由良は「このクルマはモナコなんかに持っていったら、予選落ちしていたはずです」と語っている〔『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p75。〕)。コクピットの寸法は長谷見の体格に合わせてあり、ワンオフの「長谷見スペシャル」的なマシンでもあった〔『F1 MODELING-1976富士F1グランプリ 』、p84。〕。 基本設計はメンテナンスやモディファイなどの実用性を見越してオーソドックスにまとめられた。長谷見は小野に「奇抜なマシンじゃなく、富士スピードウェイにあった無難なクルマにしてくれ」と頼んだという〔『日本の名レース100選 '76 F1イン・ジャパン』、80頁。〕。エンジンやギアボックス、ブレーキなどは海外から購入したが、それ以外は2輪レース時代から付き合いのある国内メーカーの部品を使用し、特殊素材の使用など海外のF1チームよりも先進的な技術も導入した〔大串「33年目にして解き明かされる コジマF1の真実」、p19。〕。レース前には外国人メカニックたちが視察に訪れ、マシンの細部の出来に感心していたという〔大串「33年目にして解き明かされる コジマF1の真実」、p18。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コジマ・KE007」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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