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コスミン・コントラ(Cosmin Marius Contra、1975年12月15日 - )は、ルーマニア・ティミショアラ出身の元サッカー選手。元ルーマニア代表。現役時代のポジションはディフェンダー。サッカー指導者。 『コズミン・コントラ』と表記されることもある。 攻撃的な攻め上がりが持ち味であった。ルーマニア代表としてのキャップも60を越え、キャプテンとして信頼を集めた。警告を受ける機会が多く、2008-09シーズンにはおよそ100分に1枚の割合でカードを受けた。 == 来歴 == === クラブ === 地元のクラブFCポリテフニカ・ティミショアラで才能を開花すると、1995年に同国の強豪ディナモ・ブカレストに移籍。1999年にスペインのデポルティーボ・アラベスに800.000ドルの契約金で移籍。1999-00シーズンには、2部から昇格したばかりの同クラブがUEFAカップ出場権を獲得する原動力となり、翌シーズンには同大会の準優勝に貢献。2001年にはUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに選出された〔Contra voted Romania's finest ; - UEFA.com, 2010年9月16日閲覧〕。 2001年にACミランへの移籍を果たす。ミランではリーグ戦29試合に出場し3得点を挙げるなどの成績を残したが、1年でリーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリードへ移籍。アトレティコでの1年目は31試合に出場したが怪我の影響もあって2003-04シーズンは3試合の出場に終わると、2004年8月にはイングランドのウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCにレンタル移籍。2005年には母国のFCティミショアラへレンタル移籍した。 2005年8月にヘタフェCFに2年間の長期レンタル移籍〔Contra seals Spanish switch ; UEFA.com, 2010年9月16日閲覧〕。2005-06シーズン当時左サイドバックを務めていたマリアーノ・ペルニアとによるサイド攻撃で再び脚光を浴びることとなり、翌シーズンにヘタフェへの完全移籍。2007年と2008年のコパ・デルレイ準優勝、UEFAカップ 2007-08準々決勝進出に貢献した。 2010年1月、監督のミチェルの構想外となるとヘタフェを離れて同月26日にFCティミショアラへ移籍。同年8月29日にクラブと新たな契約を結んだが、その6日後の9月15日にヴラディミル・ペトロヴィッチの後任としてティミショアラの選手兼任監督に就任した。12月4日、マリアン・ヤンク会長との対立により解任された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コスミン・コントラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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