翻訳と辞書
Words near each other
・ コチャバンバ
・ コチャバンバ水紛争
・ コチャバンバ県
・ コチャリャン
・ コチャルメルソウ
・ コチャン
・ コチャン (ポロヴェツ族)
・ コチャン郡
・ コチュ
・ コチュジャン
コチュベイ
・ コチュン・ハイン
・ コチュービエ
・ コチョウ (サクラ)
・ コチョウゲンボウ
・ コチョウザメ
・ コチョウラン
・ コチョウラン属
・ コチョ・ラツィン
・ コチラ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

コチュベイ ( リダイレクト:ヴィクトル・コチュベイ ) : ウィキペディア日本語版
ヴィクトル・コチュベイ

ヴィクトル・パヴロヴィチ・コチュベイロシア語:ヴィークタル・パーヴラヴィチュ・カチュビェーイラテン文字表記の例:Viktor Pavlovich Kochubey、1768年 - 1834年)は、帝政ロシア貴族政治家
== 概要 ==
イヴァン・マゼーパとの対立で有名なウクライナの貴族であったヴァスィーリ・コチュベイは曽祖父に当たる。参事官としてロンドンパリの在外公館勤務を経て、在オスマン帝国公使となった。1798年に外交官養成大学の学長となり、翌年、伯爵位を叙爵されるが、皇帝パーヴェル1世によって追放される。パーヴェルが暗殺され、アレクサンドル1世が即位すると、治世当初、皇帝の「若き友人」の一人として改革を企図し「秘密委員会」に参加した。1801年から1802年まで外務大臣、1802年に内務大臣に転じ、1812年に一時、職を離れるが、1819年に再び内相となり、1825年まで務めた。1827年国家評議会議長、大臣委員会議長となり、1834年公爵クニャージ)となり、帝国宰相となった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴィクトル・コチュベイ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Viktor Kochubey 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.