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栗原 小巻(くりはら こまき、1945年3月14日 - )は、日本の女優。本名同じ。東京都世田谷区出身。父は劇作家の栗原一登。 == 人物・来歴 == 日本大学藝術学部で父の同僚だった三浦朱門によると、父は「二人でも食いかねているのに、子供が生まれる。困ったな、困り切った、というので小巻という名前にした」という〔三浦朱門『朱に交われば…』p.33。〕。 当初はヴァイオリニストになろうとしていたが断念。桐朋女子を経てバレリーナを目指し東京バレエ学校に通っていたが、演技の基礎が必要と教師に言われ同校を卒業した後、1963年に劇団俳優座に入った〔2013年4月に退団。〕。俳優座花の15期生の一人。1968年の『三人姉妹』(チェーホフ)で注目を浴び、以降、舞台を主軸に活動。 テレビドラマでは、1964年に『虹の設計』にてデビュー。1967年の『三姉妹』を皮切りに、『樅ノ木は残った』『黄金の日日』などの出演で知られる。 映画では、高橋治監督の『ゴメスの名はゴメス』(1967年)で初出演。1972年の『忍ぶ川』は代表作の1つで、加藤剛相手に大胆なベッドシーンを見せたことで有名(毎日映画コンクール女優演技賞)。1970年代には『戦争と人間』『いのちぼうにふろう』『サンダカン八番娼館 望郷』『八甲田山』と出演を重ねた。『男はつらいよ』シリーズでは、『新・男はつらいよ』『柴又より愛をこめて』にてマドンナ役を演じている。 70年代に入ると舞台女優としての評価も高まり、多くの賞を受賞する。 ロシア(旧ソ連)との繋がりも深く、1981年には日本で初めてソ連の演出家(A・エーフロス)を招いて行った舞台公演『櫻の園』に主演した。日ソ合作映画にも主演(『モスクワわが愛』(1974年)、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年))。『未来への伝言』では企画も担当した。読書アンケートでも、愛読書の一つにレフ・トルストイ『戦争と平和』を挙げている。 イギリスの作曲家、ベンジャミン・ブリテンの作曲の「青少年のための管弦楽入門」の年少者向けクラシック音楽の解説も行う。(楽器の紹介をしながら作品のナレーションを行う日本語版作品) 1991年の中国映画『乳泉村の子』(謝晋監督、中国題名『清涼寺鐘聲』)にも主演し、日本中国文化交流協会代表理事も務めるなど中国との繋がりも深い。 クラシック・バレエを特技とし、映画の中でもその姿が見られる。また、ダークダックスと共にロシア・ソ連の歌を紹介するテレビ番組に出演したことがあり、ソロでLPレコードを発売したこともある。 熱狂的な男性ファンが多く、吉永小百合ファンが「サユリスト」と呼ばれたのに対し、栗原小巻ファンは「コマキスト」と呼ばれた(奇しくも吉永とは生年月日が1日違い)。アイドル的存在として人気を二分したが、中年以降、吉永が映画を主軸に据えているのに対し、栗原は舞台を主軸としている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「栗原小巻」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Komaki Kurihara 」があります。 スポンサード リンク
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