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ナディア・エレーナ・コマネチ(Nadia Elena Comăneci :1961年11月12日 - )はルーマニアの体操選手。1976年に行われたモントリオールオリンピックで3個の金メダルを獲得した。またこの大会で体操競技選手としてオリンピックの舞台で初めて10点満点を獲得した。1980年のモスクワオリンピックでも2個の金メダルを獲得した。彼女はオルガ・コルブトと並び世界中で最も知られた体操競技選手となり競技の人気を高めた。 == 経歴 == === モントリオールオリンピックでの活躍まで === コマネチは、ルーマニアのゲオルゲ・ゲオルギュ=デジ市(現在のバカウ県オネシュティ)で、ゲオルゲとシュテファニア=アレキサンドリナ夫妻の下に生まれた〔Letters to a Young Gymnast. Comaneci, Nadia. 2004, Basic Books. ISBN 0465012760 pg.〕。ナディアという名前は、あるロシアの映画のヒロインである、ナジェージュダ(Nadezhda, ロシア語:, 「希望」という意味、愛称はNadia ())にちなんだものである。 6歳の時に名コーチベラ・カロリーに見出され、英才教育を受けた〔Letters to a Young Gymnast. Comaneci, Nadia. 2004, Basic Books. ISBN 0465012760 pg. 17-19〕。1969年には国内選手権で13位に入った。 9歳でルーマニアのジュニア選手権を制覇し、1971年には初の国際大会となるユーゴスラビアチームとの大会に出場し団体と個人総合で優勝を果たした。1975年にノルウェーのシーエンで行われたヨーロッパ体操選手権で種目別のゆかで銀メダルとなったのを除き個人総合、種目別全てで金メダルを獲得するなど、幼いときから数々のタイトルを獲得してきた。プレオリンピック大会としてモントリオールで開かれた大会で彼女は個人総合と平均台で金メダル、跳馬、ゆか、段違い平行棒ではネリー・キムに次いで銀メダルとなった。1976年3月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたアメリカンカップの跳馬で10点満点を出し、日本で行われた中日カップでも跳馬と段違い平行棒で10点満点を出した。 同年14歳で参加したモントリオールオリンピックで、段違い平行棒と平均台の演技で近代オリンピック史上初めての10点満点を出し、個人総合と併せて金メダル3個、団体で銀メダル、ゆかで銅メダルを獲得した。この時オリンピックを運営するIOCや審判団は体操競技で実際に満点が出ることを想定していなかったため(当時は9.99までしか採点掲示板に表示できなかった)、掲示板には1.00点と表示された。彼女は個人総合で優勝した初のルーマニア選手となると共に史上最年少での個人総合優勝を果たした(当時は14歳以上でオリンピックに出場できたが現在オリンピックに出場するには16歳以上でなければいけないので今後もこの記録が破られる可能性は低い。)。純白のレオタードが似合う可憐な容姿や見事な技が観衆を魅了し、「白い妖精」と呼ばれた〔この『白い妖精』のキャッチフレーズを最初につけたのは、モントリオールオリンピック女子体操を実況した向坂松彦(当時・日本放送協会アナウンサー)であった。〕。帰国した彼女はニコラエ・チャウシェスク大統領から勲章をもらった。 米ABCのモントリオールオリンピック中継でコマネチが登場する際に使われた『妖精コマネチのテーマ』(バリー・デ・ヴォーゾン&ペリー・ボトキン・ジュニア)がヒットした。元々この曲は五輪やコマネチのために書かれたものではなく、1971年に公開された映画『動物と子供たちの詩』(Bless the Beasts and Children)のサウンドトラック『Bless the Beasts and Children』に収録されていた楽曲(本来のタイトルは「Cotton's Dream」)でありアメリカの昼ドラ、ヤング・アンド・ザ・レストレスのテーマソングにも使われていた。彼女がこの曲を使って演技することはなかった。彼女がゆかの演技で使用した曲はYes Sir, That's My BabyとJump In The Lineをピアノにアレンジしたものであった。 彼女はUPI通信社が選ぶ年間最優秀女子スポーツ選手に1975年、1976年と2年連続で選出されている。またAP通信社が選ぶ最優秀女子スポーツ選手にも1976年選出された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ナディア・コマネチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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