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コミュニティメモリ()とは、世界初のコンピュータ化された一般向け電子掲示板である。1973年、アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレーに設置された。サンフランシスコにあるSDS 940のタイムシェアリングシステムを使用しており、110ボーの速度でバークレーにあるレコード店に置かれたテレタイプ端末と接続した。ユーザーはコンピュータにメッセージを書き込んだり、特定の通知を探して回ることができた。 当初コミュニティメモリは、反体制文化(カウンターカルチャー)的な実利的、教育的、社会的な様々な組織を互いに、あるいは一般社会へとリンクさせる情報・リソース共有ネットワークと受け止められたが、やがて情報の蚤の市として普及していった。それは公衆コンピュータ端末を通じて、メッセージ・データベースへの直接的双方向アクセスを提供した結果である〔Schuler, D. (1994). Community networks: Building a new participatory medium. Communications of the ACM, 37(1), 38〕。コミュニティメモリを使えるようになったユーザーは、それが芸術、文学、ジャーナリズム、商取引、お喋りのために使える一般的なコミュニケーションメディアであることを示して見せた。 ==人物== コミュニティメモリはサンフランシスコのプロジェクト・ワンにあるリソース・ワン・コンピュータセンター内のコミュニティメモリプロジェクトで活動していたエフレム・リプキン、マーク・シュパコフスキー、によって作られた。このコンピュータに精通した友達・パートナーで結成されたグループはコミュニティ情報のソースとして機能するシンプルなシステムの製作を模索していた。フェルゼンスタインは、リプキンはソフトウェア、シュパコスキーはユーザインターフェースとデータ管理を担当した。コミュニティメモリの第一期(1973年-1975年)は情報交換にコンピュータを活用することに対する人々の反応を見るための実験で、当時、コンピュータに直接触れる人物はほんの僅かだった。コミュニティメモリはバークレーのコミュニティを強化するのに役立つツールとして構想されており、カタログには「通信の強力で自由な非階層チャネルは、それがコンピュータとモデム、ペンとインク、電話、対面を問わず、我々のコミュニティの再生と活性化のための最前線である」と書かれていた〔。 コミュニティメモリの製作者と創設者は、言論の自由の賛美や反戦運動といった1960年代の北カリフォルニアにおける反体制文化の価値観を共有していて、またエコで低コストかつ分散化されたユーザーフレンドリーな技術を推進していた〔Bell, D., Loader, B., Pleace, N., & Schuler, D. (2004). Cyberculture: The key concepts. New York: NY, Routledge, Taylor & Francis Group〕。 コミュニティメモリはアンドリュー・クレメントの主導でバンクーバーでも1974年7月から設置された。1970年代後半に、世界的な情報ネットワークの創設を目指してコミュニティメモリは生まれ変わることになる。その主な推進者はエフレム・リプキンとケン・コルスタッドだった。 は自著「」でどのようにしてコミュニティメモリの創設者は組織化を始めたか書いている〔Levy, S: "Hackers: Heroes of the Computer Revolution". Anchor Press/Doubleday, 1984.〕。また創設者の一部はパーソナルコンピュータの開発に重要な影響を与えたことで知られるホームブリュー・コンピュータ・クラブという団体に参加している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「コミュニティメモリ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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